日本の文化行政について知る

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■日本の文化行政について知る  ~戦後の文化行政のながれ~

 

 戦後の国の文化行政のあゆみ

 

 この項では、主に第二次世界大戦後の国の文化行政について概略を述べますが、戦前の文化行政についていうと、宗教、文化財、著作権、国語、芸術文化にかかわる行政が、内務省などで個別的に実施され、文化行政という考えのもとに統合されては行われていなかったという特徴がありました。欧化政策のもと、伝統的な芸能より西洋の音楽・美術が奨励され、演劇は国体に反する思想を伝播するものとして弾圧された歴史がありました。その記憶は、戦後の文化行政の歴史と国民の意識に深く影響しています。

 

戦後の文化行政

 

 日本国憲法(1946年)の制定により、国民の幸福追求権(13条)、文化的な生活を営む権利(25条)、教育を受ける権利(26条)などが定められました。次いで教育基本法(1947年)の前文に「個性豊かな文化の創造をめざす教育」が謳われ、社会教育法(1949年)では、市町村教育委員会の事務に「音楽、演劇、美術その他芸術の発表会等の開催及びその奨励に関すること」、公民館の目的として「学術及び文化に関する各種事業を行う」が言及され、図書館、博物館は社会教育の機関と位置づけられました。
 
 法的枠組みの整備とは別に、文化行政の変化は1946年から始まりました。それまで文化財や美術中心であったのが「文化による復興を」という願いから、芸術祭で演劇、音楽、舞踊などの公演がスタートしたのです。また、1959年には、芸術団体に社会教育団体補助金の交付が始まり、これがのちの芸術団体助成の制度発展のもととなりました。
 
 1966年には、「わが国古来の伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行う」として国立劇場法のもと国立劇場が誕生し、歌舞伎や文楽の公演が行われるようになりました。その後、1979年には国立演芸資料館、1983年には国立能楽堂、1984年には国立文楽劇場、国立劇場おきなわ(2004年)と、国立劇場群が整備されていきます。
 
 

文化庁の誕生から「文化の時代」へ

 

 国の文化行政は、当初、文部省社会教育局の所管でしたが、1966年、文化局として独立し、さらに1968年、文化財保護委員会と統合して、文部省の外局として文化庁が発足しました。社会教育局時代からスタートしていた民間の芸術団体へ助成は、1980年ころまでは文化庁予算の増加とともに徐々に増大していきました。これは高度経済成長を背景に国民の文化への欲求を反映しており、芸術団体が全国に巡回公演する「移動芸術祭」(1964年開始、その後施策の名称は変遷)などによる国民の鑑賞機会の充実を掲げたものと、人材育成を掲げた「芸術家在外研修員制度」(1967年開始、その後名称等は変更)が文化行政の重要な枠組として形成されました。しかし、文化庁発足当時、文化財保護の予算が7割以上を占めており、さらに芸術文化振興予算の多くが文化施設整備に費やされており、民間芸術団体の助成など、芸術活動に向けられた予算は限られていました。
 
 1980年代に入って、政府が補助金抑制の方針を出したために芸術文化振興予算は抑制されるという事態に至りました。一方で、内閣総理大臣の私的諮問機関として政策研究会が「文化の時代」と題した報告書をまとめ、「モノの豊かさから心の豊かさへ」という意識の変化に言及し、文化行政の整備が政策的課題に含められました。また長洲一二神奈川県知事らの「地方の時代」の提唱により、地方公共団体が各地で文化行政に力を入れ始めます。
 
 

文化政策へ

 戦前の文化政策への反省から、長らく国は「文化政策」という用語を使っていませんでしたが、1985年から芸団協では「文化政策研究会」を設置して、海外の文化政策研究を開始し、「文化政策の国際的潮流」と題した国際シンポジウムを開催するなどして、「文化政策」へと視野を広げる必要性に言及しました。それらが1989年、文化庁長官の私的諮問機関としての「文化政策推進会議」設置につながり、有識者の検討を踏まえて芸術文化支援充実の方向性が示されるようになり、芸術文化振興基金の誕生に結びつきます。
 
 1990年3月、国から500億円、民間から100億円の出えん金を集めて、芸術文化振興基金がスタートしました。国の財政事情に左右されずに安定的に公的な芸術支援が行われる仕組みとして画期的なものでした。しかし、その後の金利の低迷で基金の果実は減少の一途をたどり、文化庁による直接支援の必要性が高まりました。1996年には、それまで複数あった文化庁の民間芸術団体支援施策を統合して「アーツプラン21」と称した新支援策が導入され、国の財政削減の方向性の中においても芸術団体支援を拡充する施策として歓迎されました。ただし、それもその後の諸事情で施策の枠組み変更が重なり、民間芸術団体を支援する施策として十分に機能しているかどうか、検証と改善が望まれています。

 

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文化芸術振興基本法の成立後

 

 2001年、超党派の国会議員で構成する音楽議員連盟の議員が提案した議員立法として、文化芸術振興基本法が制定されました。これにより、文化芸術の振興施策が総合的に示される法的基盤が初めて整いました。文化芸術振興の理念や国、地方公共団体の責務が示されたほか、文部科学大臣が「文化芸術の振興に係る基本的な方針」を定めることとなり、その後、おおよそ5年を目途に基本方針が検討され更新されていくしくみになりました。
その基本方針ですが、直近では、2011年2月に第三次基本方針が閣議決定されおり、その重点戦略として6つの項目が挙げられています。
 
 1. 文化芸術活動に対する効果的な支援
 2. 文化芸術を創造し、支える人材の充実
 3. 子どもや若者を対象とした文化芸術振興策の充実
 4. 文化芸術の次世代への確実な継承
 5. 文化芸術の地域振興、観光・産業振興等への活用
 6. 文化発信・国際文化交流の充実。
 
 また、基本的な施策のなかに、劇場・音楽堂の法的基盤の整備も挙げられています。
 この基本方針は、かつて文化庁長官の私的諮問機関であった文化政策推進会議が出したものとちがって閣議決定を経ますから、省庁全体にかかわる決定となります。どこまで実現できるのか、第一次、第二次基本方針のときに書かれていたことが、継続して書かれている項目もあり、実効性については疑問視する見方もあるかもしれません。しかし、国の文化政策が目指す方向性、重点課題などが定期的に検討され示されるしくみとなったことは、文化芸術振興基本法の効果のひとつです。