HOME > ネットで学ぶ > 日本の芸能、舞台芸術 > 芸団協の実演芸術振興のあゆみ
■芸団協の実演芸術振興のあゆみ~1971年から2001年基本法まで~ |
入場税撤廃運動の高まり |
「入場税」とは、昭和13年、戦費調達のため「支那事変特別税法」として導入されたもので、劇場公演、美術展覧会、相撲などに、一時は200%という高率で課せられていた税金のことです。敗戦直後から、相撲界、音楽・舞踊界、演劇界で、それぞれ減免を求める運動がわきおこり、それらの活動の成果として、税率の軽減、免税点の引き上げが実現し、課税対象が狭められました。その際、相撲、美術展は除外されましたが、舞台芸術はギャンブルとともに残されたのです。
音楽、舞踊、演劇等の入場税減免・撤廃運動に、芸団協も1971年から加わりました。1974年には舞台入場税対策連絡会議が発足し、入場税撤廃運動の成果として、1975年には免税点3000円への引き上げが実現。1984年には銀座から大蔵省まで千名を越えるパレードが入場税撤廃を訴え、156万名の国会請願を行い、そして免税点5000円への引き上げが実現しました。(その後、一般消費税の導入によって、「入場税」は廃止となりました)
このような運動の昂揚は、日本の経済発展にともなう豊かさを求める動きというだけではなく、芸術文化についての理念の問題も含まれています。戦中の「贅沢は敵」、戦後の「復興」のため、芸術を贅沢と考えるこの国の考え方へ転換を求める声だったのです。つまり、「芸術は贅沢ではなく人間が生きる上で必要不可欠なものである」との考え方の浸透で、実際、子どもたちに舞台芸術を見せる文化団体として各地に発足した「子ども劇場おやこ劇場」や、演劇鑑賞会など、芸能を愛する市民団体が運動の一翼を担ったことは、その表れだったといえます。
内外の文化政策研究と文化経済学の導入 |
芸術支援のための基金、企業メセナ協議会の発足 |
1985年、超党派の衆参両院議員で組織する音楽議員連盟が「芸術振興基金」創設を提起しました。入場税は廃止され消費税に吸収され実質課税が強化されるなか、多くの芸能関係者が参加してプロジェクトチームが編成され「基金」創設に向けての海外調査、理論研究が積み重ねられました。この研究過程で芸団協は『芸術文化振興政策の財政的基礎』『芸術文化振興基金の課題』をまとめ世に問うています。
1990年3月、国立劇場法が日本芸術文化振興会法に改正され、政府出えん500億円、民間出資100億円余の「芸術文化振興基金」がスタートし、芸術に対する公的支援の整備が進みました。
また、この年の2月、企業メセナ協議会が発足し、民間の芸術支援についてもそのあり方が様々に論じられ工夫されるようになりました。1990年は「メセナ元年」として芸術支援の制度的基盤が整いはじめた年として記憶されるようになります。
「芸能基本法」の研究 第一期 |
芸術文化振興基金誕生に続くステップとして、文化政策研究会は設置当初から課題だった「芸能基本法」(仮称)の研究に着手しました。1994年までに、基本法に盛り込まれるべき12項目を想定し、項目ごとに担当者を決め、課題の報告と討論を行いました。12テーマは、以下のとおりです。
1) 国の文化政策目標、
2) 芸術文化振興に関する基本原則、
3) 国、地方公共団体の文化振興に関する任務と行政組織、
4) 財政上の措置-公的助成のあり方と民間との連携・協力について、
5) 法制上の措置(税制を含む)、
6) 芸術家および芸術文化に従事する者の地位の助長、
7) 年次報告/施策を明らかにした文書の国会への報告、
8) 公立文化施設、
9) 国際交流、
10) 芸術文化団体の整備、
11) 芸術家ならびにプロデューサーの養成・芸術教育の充実、
12) 審議会の設置
芸術文化団体の整備に関連して、「芸能法人」の創設も検討課題であしたが、1995年の阪神淡路の大震災を契機に、非営利法人創設の市民運動が盛り上がるなど、芸能組織のあり方、芸能法人にかかわる議論に関連する動きが急展開したことなどもあり、検討を一時停止する状況となりました。
実演家の地位に関する研究 |
芸団協は、実演家の著作権法上の権利を確立するための運動から誕生しています。しかし実演家の権利は、著作権法制だけで確立されるものではなく、「実演家の社会的な地位」の問題と不可分です。仕事の内容、一般勤労者と比べて恵まれない社会保障問題をいかに改善するかは芸団協設立の大きな課題であり、実演家の著作隣接権から派生する果実を実演家に還元する一つの方法として芸能人年金共済制度をつくりあげた経緯があります。 1975年、芸団協は「労災問題研究会」を開催。1979年からは労災問題研究委員会を設置し、アンケートを実施するなど実態調査にも乗り出していきました。また、1989年、テレビ番組撮影時の車輌事故など、多発した死傷事故を受け、シンポジウム「芸能の現場から災害をなくすために」を開催。映像・舞台スタッフ団体と共に芸能関連労災問題連絡会(労災連)を結成しました。
しかし、事故は減少するどころか1980年代後半に入ると深刻化してきました。大事故は表面化し、補償の対応が問題となりました。そこで立ちはだかるのが実演家が労働基準法第9条の「労働者」にあたり、労働者災害補償保険で救済されるかという問題です。事故の個別ケースごとに労働基準監督署に判断が委ねられているのが現状ですが、労災保険適用以前で、声すらあげられずに自前で治療費を負担する多くの実演家が存在するという現状もあります。
ここには2つの問題が横たわっています。一つは労働基準法の「労働者性」を厳格に解釈運用する行政の立場と、この法の前提ともなっている常用労働者を中心に考えられた制度の硬直性です。もう一つは、手続きを行えば当然加入が認められるであろう実演家も対象から外れてしまう創造の現場の無知と、承知していても掛け金が払える目途の立たない経済的な貧しさです。
1984年の「明日の芸能文化を語る<夏の集い>」で芸能基本法が議論された時、その話題の中心になったのが、ユネスコ「芸術家の地位に関する勧告」(1980年)でした。そこには「地位」について以下のように定義されています。「芸術家が社会において果たすことが期待されている役割の重要性に基づき、芸術家に払われる敬意を意味し、他方では、芸術家が享受すべき自由権及び諸権利(精神的、経済的及び社会的権利を含む)、特に収入及び社会保障に関する諸権利の認知を意味する」
芸団協は、実演家の社会保障に関連して、労相への陳情を皮切りに、労働基準監督署や労働省への実態説明や度重なる要望を行い、国会でも何度か取り上げられました。一連の働きかけを受け、労働省は労働基準法研究会での検討を行い、1996年「芸能関係従事者の労働者性について(新判断基準)」をまとめています。しかし、個別ケースごとに労働基準監督署が判断するという対応に変更はなく、芸能労災の実状を反映した救済制度が整備されるには至っていません。
「芸能基本法」の研究 第二期 |
「文化芸術振興基本法」の成立 |