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第1回:社会福祉士から見た「芸術家のための互助の仕組み」の意義と可能性

NPO法人Social Change Agency代表理事、ポスト申請主義を考える会代表、社会福祉士
横山 北斗

はじめに

本年4月、芸団協による「芸術家のための互助の仕組み」についての中間提言が公開されました。
提言冒頭、「芸団協は、会社員(被用者・労働者)に比べ保護が不十分な実演家の社会保障の問題に長年の間取り組んできている」とありますが、保護が不十分な実演家をはじめ、芸術家の社会保障の問題を明らかにし必要な対策を行うことは、芸術家の皆さんの生活を支え、キャリアを守るために非常に重要なことであると考えます。
 
申し遅れました。私は日頃、社会福祉士としてさまざまな生活上の困りごとに対して社会保障制度の活用をサポートしています。制度を知らない等の理由で利用できず、生活困難に陥ってしまう人がいることに問題意識を持ち、中高生向けの社会保障制度に関する書籍を書いたり、自治体や国の社会保障制度の利用のしやすさを向上させる取り組み等を行っています。
 
本稿では、上記立場から、提言内の「互助プラットフォーム」の役割として挙げられている「既存の制度と、個人事業主として働く芸術家の皆様をつなぐ」、「失業保障など、保障を拡大するための調査研究」について、社会保障の観点からその意義について考えてみたいと思います。

「既存の制度と、個人事業主として働く芸術家の皆様をつなぐ」ことの意義

「30代でステージから落下して腰ヘルニアになってしまいました。(音響家)」
「昔、高所からの落下事故で腰を骨折した経験があります。(照明家)」
「過去に負ったケガの治療費は、全て自己負担でした。(舞台俳優)」
これらは、芸団協が過去に実施したアンケートや調査で寄せられた声の一部です(内容は改変しています)。

芸術家、特に実演家の皆さんの中には、お仕事の特性上、怪我のリスクが高い方も多いのではないでしょうか。ここで、社会保障制度が私たちの生活にどのような影響を与えるのか、既存の制度のひとつである「労災保険」について、具体的な事例を通して見ていきましょう。

2021年から、「芸能関係作業従事者(舞台演出監督、撮影・照明・音響等、衣装やメイク、アシスタントやマネージャーなど)」の方々も労災保険に特別加入できるようになりました[1]。労災保険に加入している場合と未加入の場合で、どのような違いが生じるのかを架空の事例を用いて、比較してみます。なお、労災の特別加入では、労災の各種補償金額と保険料額を決める「給付基礎日額」と呼ばれる基準額(3,500円〜25,000円)を自分で決める必要があります。

事例概要

  • A子さん(30歳、女性):労災保険に未加入の俳優、月収約25万円
  • B男さん(30歳、男性):労災保険に特別加入している俳優、月収約25万円

ある日、公演準備中に高所から落下し、頭部を強打したことで脳挫傷を負ってしまいました。入院治療、手術、社会復帰のためのリハビリを余儀なくされ、6ヶ月間の入院をしました。

医療費

  • A子さん(未加入):国民健康保険、医療費の3割が自己負担。
    ・月々の自己負担額:約10万円(高額療養費制度の適用後)
    ・6ヶ月間の自己負担額:約60万円
  • B男さん(特別加入):労災保険が適用されるため、原則、医療費の自己負担はありません。

休業補償

  • A子さん(未加入):補償金は支給されません。
    ・6ヶ月間の収入:0円
  • B男さん(特別加入):休業4日目から、給付基礎日額(3,500円〜25,000円)の8割×日数分が休業補償金として支給されます。
    ・6ヶ月間(180日)の休業補償金:約50万円〜360万円

A子さんとB男さんの比較

  • 項目
  • A子さん(未加入)
  • B男さん(特別加入)
  • 月収
  • 約25万円
  • 約25万円
  • 労災加入状況
  • 未加入
  • 特別加入
  • 事故の概要
  • 公演準備中に高所から落下し、頭部を強打、脳挫傷を負う
  • 入院期間
  • 6ヶ月
  • 医療費の
    自己負担額
  • 約60万円
    (国民健康保険の3割負担。高額療養費適用後)
  • 0円
    (労災保険が適用)
  • 休業中の
    補償金額
  • 0円
    (国民健康保険には休業補償なし)
  • 約50〜360万円
    (給付基礎日額により変動)
  • 労災保険料
  • 未加入のため無し
  • (初年度)年額約1万円〜4万円弱
    (給付基礎日額により変動。加入するための窓口団体への入会金、会費含む)

この比較からわかるように仕事に起因する病気や怪我によって長期の治療や休業が必要になった場合、労災保険の特別加入の有無が経済的な面で大きな違いを生むことは明らかですが、令和4年度(2022年度)末現在、芸能関係作業従事者のうち、労災保険特別加入者数は719人と低値になっています[2]
理由としては、保険料をはじめとした費用負担や、制度の認知度不足や手続きの煩雑さなどが考えられます。これらの問題を解決するためには、互助プラットフォーム等を通じた情報提供や手続きのサポート、広報啓発により、「既存の制度と、個人事業主として働く芸術家の皆様をつなぐ」ことが、まさに重要になります。
なお、保険料は給付基礎日額によりますが、年額約1万円〜4万円弱、月額にすると約800円〜3300円となります。保険料のシュミレーションができるページを公開している団体もありますので[3]、A子さんとB男さんの例も参考にしていただきながら、ご自分の収入、取れるリスクなどを踏まえて、検討をされるのも一案かもしれません。

「失業保障など、保障を拡大するための調査研究」の意義

社会保障制度の多くは、利用要件に該当しなければ当然、制度を利用することはできません。ですが、労災の特別加入も然り、制度はさまざまな要因によってその対象や内容を変化させてきました。

例えば、患者団体からの要望により、難病への医療費補助がなされたり、病気や怪我で働くことができない場合に利用できる所得保障である傷病手当金[4]についても、利用できる期間の変更がなされたりしてきました。コロナ禍における住居確保給付金(家賃を補助する制度)の利用要件の拡大なども、同様です。
家賃に関する支援制度である住居確保給付金は、2015年4月に施行された生活困窮者自立支援法に基づく制度のひとつで、それ以前には存在しない制度でした。

制度すべてが、その当時の社会背景を踏まえてつくられ、時代の変化の中で、内容が変化したものもあります。その過程には、さまざまな人たちが声をあげ、政治に働きかけてきた歴史がありました。

したがって、「会社員(被用者・労働者)に比べ保護が不十分な実演家の社会保障の問題」は永続的に固定化されたものではなく、芸術家の皆さんの状況や要望を踏まえて、変えていくことができる可能性があるものだと考えることができます。

また、海外との比較を通して、日本に類似の仕組みが必要だと要望の材料とすることもでき得るでしょう。(すでに、「芸術家の社会保障に関する研究[5]」(2023年5月発行)において、海外事例の紹介がなされており、フランスの芸術家のための失業保険制度「アンテルミタン制度」などが紹介されています)

以上より、芸術家の皆さんが利用できる社会保障制度の種類や範囲を拡大していくための調査研究は、皆さんの声や実態をもとに、芸術家の皆さんの生活を支え、キャリアを守るために非常に重要な役割を果たすものになるでしょう。

おわりに

本稿では、「芸術家のための互助の仕組み」について、社会保障の観点から、その意義と可能性について述べました。芸団協が過去に行ったアンケート等から、労災の特別加入以外にも、以下のような問題があると考えられます。

  • 労災事故やケガのリスクが高いにも関わらず、十分な補償や支援体制が整っていない。
  • 長時間労働や不規則な労働時間が常態化しており、ワークライフバランスを保つことが難しい。
  • 報酬が低く、キャリアアップや技能向上のための支援が不足している。
  • 出産・育児との両立が難しく、休業中の収入保障や復職後の支援が不十分である。
  • 引退後の経済保障や介護の不安。
  • ハラスメントなど、働く環境を悪化させる問題に関して、相談できる窓口や改善に向けた取り組みが不足している。

これらの問題は、芸術家の方々の生活やキャリア継続に大きな影響を与えます。
一般企業では、従業員のメンタルヘルス対策や仕事と家庭(子育て、介護など)の両立支援が進んでいます。出生数の低下と人口減少が進む中で、さまざまな業種で人材の奪い合いがはじまっており、両立支援は福利厚生として行われるだけでなく、企業の経営戦略上も重要な施策として位置付けられるようになってきています。
芸術家が個人事業主であることを理由に、経営者、制作会社、業界が、前述した問題を放置したり改善を怠ったりすることは、中長期的には優秀な芸術家やスタッフの確保・継続的な創作活動が困難になる可能性があることを認識する必要があるでしょう。
令和5年度「審議のまとめ」の結びには以下の一文があります。
「日本の多様な文化芸術が今後も花開いていくための土壌づくりにかかせない担い手が尊厳を持って、安心して継続的に働くことができるよう、『芸術家のための互助の仕組み』は、芸術家等のみの共助でなく、業界全体で支え、その経済的な活動を活性化する土台となる仕組みとなることが望ましい」

芸術家の方々が安心して仕事と生活を両立、キャリアを構築できる環境を整備することは、「日本の多様な文化芸術が今後も花開いていくため」に必要不可欠であると考えます。
そのために「芸術家のための互助の仕組み」の可能性は大きいと考えると共に、互助の仕組みが持続的に機能するためには、この業界に関わるさまざまな立場の方々ができ得るコミットメントを通して、互助の仕組みに参画し育てていくこともまた、必要なことではないでしょうか。
今後、数本のコラムを通して、芸術家の方々が直面する可能性のある生活問題に対応するために参考にしていただけるような社会保障制度の活用方法等をお伝えします。
芸術家の皆さんの生活とキャリアを守るために、社会保障制度の観点から何ができるのかを皆さんと共に考えていきたいと思います。