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野村萬 芸団協会長が文化勲章を受章しました

芸団協

2019年10月29日

野村萬 芸団協会長が、文化勲章受章の栄に浴することになりました。
文化勲章は、わが国の文化の発達に関して顕著な功績のあった者に対して授与される勲章です。

受章の理由は下記の通りです。
1997(平成9)年に第四代芸団協会長就任以来、今日に至るまで、わが国の芸能の発展向上に尽力してきた功績にも言及されています。


 

氏は昭和5年和泉流狂言師六世野村万蔵の長男として東京に生まれる。家督を継ぐ者として幼少時より父から厳格な稽古を受け、同25年四世野村万之丞を襲名、さらに狂言の大曲「花子(はなご)」を勤めるなど声と身体を使った技芸の体得に研鑽を積み、平成5年七世野村万蔵襲名、同12年初世野村萬を名乗る。氏の舞台は、演目・役柄を問わず無駄のない所作(身体の動き)と内面から表出する喜怒哀楽の演技で登場人物の深い人間性が滲み出るもので、今日も現役を続け、狂言の魅力を国の内外に伝え、多くの人々に感銘を与えた。
  

戦時中の青年時代に勤労動員として働いた後、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に進学し「謡と舞」の重要さを学ぶ。また、狂言は元々「演劇的なもの」であることに気づき、現代演劇や前衛演劇のほか「おしん」「翔ぶが如く」などのテレビドラマにも出演し、その体験を狂言の芸へ昇華した。
  

また、氏は伝統的な狂言の継承保存に尽力するばかりではなく、新作や復曲にも積極的に取り組んできた。新作狂言では昭和30年の「ぼうふり」をはじめ数多くの作品に出演し、復曲では同59年「父之尉風流(ちちのじょうのふりゅう)」、同62年「鷺(さぎ)」などがある。
  

さらに氏は(公社)日本芸能実演家団体協議会において平成9年より現在まで会長を務め、わが国の芸能の発展向上に尽力している。
  

氏はこれらの功績により、平成6年には紫綬褒章が授与され、同9年に重要無形文化財「狂言」(各個認定)保持者に認定、同13年に日本芸術院会員に推挙され、同20年に文化功労者に選ばれる。その後も、フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章、日本放送協会放送文化賞などを受けている。

以上のように同人は、永年にわたり技芸の向上に邁進し高い芸境に至るばかりでなく、狂言の芸術性を国民に広く知らしめており、その功績は誠に顕著である。