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インタビュー「あの先生の “キッズ時代”」花柳静久郎先生(日本舞踊)

2020.12.14 コラム

先生たちの “キッズ時代” や “たからもの” にまつわるエピソードを紹介するシリーズ企画。
お稽古場ではなかなか見えない先生方の「素顔」を、少しだけお伝えしていきます。

今回は、日本舞踊[新宿]コースの花柳 静久郎(はなやぎ・せいくろう)先生です。
みんなのお兄さん的存在である静久郎先生に、ご自身の”キッズ時代”についてお話を聞きました。


初舞台はダミ声のウグイス!?

— お稽古をはじめたきっかけ、そして初舞台のことを教えてください。

はじめたのは3歳の頃で、あまり記憶はないんです。母が趣味で日本舞踊を習っていて、姉もやっていましたので、家族一緒に同じ師匠に教わりました。お稽古は好きでしたが、幼い頃は恥ずかしがり屋だったので「舞台には立ちたくない」と言い続けていました。やっぱり女の子ばかりで男子が少ないのがイヤだったんです。でも、小学6年生の6月、『鶯宿梅』(おうしゅくばい)という物語性のある面白い演目を家族3人で踊ることになり、なんとなく説得されて初舞台を踏みました。
鶯(うぐいす)の役で、いちばん初めに舞台に出て「うぐいすでござる」というセリフがあるのですが、実は舞台の2か月前、突然、声変わりが始まりまして……。迎えた当日、“小6男子”が舞台に出てきたら、お客様は「男の子、珍しいな」「かわいらしいな」と注目するでしょう。すると、ものすごいダミ声で「ウグイスデゴザル!」と始まったものだから、会場は大爆笑。さすがに少し心に傷を負いました(笑)。でも、辞めたいとは思わず、笑われて悔しいと思ったのかもしれませんね。この初舞台をきっかけに、日本舞踊が自分の中心となっていきました。


photo: 『鶯宿梅』(11歳)

ギターの代わりに三味線をかきならし、芸大を目指す

— 日本舞踊の道に進もうと決めたのは、いつ頃でしたか。

「好きな音楽をギターで弾いてみたい」と誰もが考える感覚と同じだと思うのですが、それが私にとっては日本舞踊とともにある三味線音楽だったので、小学6年生の頃から三味線を習ったり、高校生になると お箏に挑戦したりしました。
時間をかけて日本舞踊を好きになり、高校1年生の春、東京芸術大学という日本舞踊を学べる学校に進もうと心を決めました。好きなことで大学に行けるなら、それはすごく幸せなことだなと思って。その時から、日本舞踊を一生続けていこうという気持ちが固まってきたのだと思います。地元の師匠や家族に決意を打ち明けると、それは驚いていました。おとなしい男子がそこまで本気だとは想像もしていなかったようで「うちに秘めたものがあったのか!」と(笑)。逆に、女の子だからと期待していた姉はそこまで好きではなかったようで、高校生まで続けたあとは別の道を選びました。私の踊りにも興味がないようで、あまり観に来ません(笑)。

日本舞踊は楽しい! まずは、やりきること

— お稽古を始める子供たちへメッセージをお願いします。

“師匠と弟子”というと堅苦しく感じてしまうかもしれませんが、私にとっては親子のつながりに似たようなものです。踊りを通して人と人との深い絆を感じてこられたことで、お稽古の中で大変な時期があっても「師匠からいただいたものがある」「ここで自分がくじけるわけにはいかない」と思うことができて、いつも支えられています。
日本舞踊は難しいので、最初は誰も出来ません。お稽古の途中でつまずくことがあるかもしれませんが、先生方が一生懸命教えますので、まずは“めげずに”挑戦しましょう。お稽古を重ねて舞台を経験すると見えてくるものが必ずあるので、このプログラムをやりきることをひとつの区切りと考え、一度、そこまでがんばってみてほしいと思います。皆さんに「日本舞踊って楽しいな」と感じてもらえる時間にしたいと思っています。[談]


photo: 現在の様子(左)素踊り (右)『鏡獅子』

 

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