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インタビュー「あの先生の “キッズ時代”」藤間仁凰先生(日本舞踊)

2020.11.06 コラム

先生たちの”キッズ時代”や”たからもの”にまつわるエピソードを紹介する新企画。
お稽古場ではなかなか見えない先生方の「素顔」を、少しだけお伝えしていきます。

お一人目は、11月1日、本年度最初のお稽古を開始した 日本舞踊[立川]コースから 藤間 仁凰(ふじま・じんおう)先生です。
人を楽しませることが大好きな仁凰先生に、ご自身の”キッズ時代”についてお話を聞きました。


子供の頃はご褒美につられて

— お稽古をはじめたきっかけを教えてください。

初舞台は3歳の時でした。祖母や父が踊りをやっていたので、小さい頃から習い事のひとつとして、正直なところ「やらされていた」という感じだったと思います。幼い頃は超合金のロボットとか、少し大きくなってからはゲームソフトとか、ご褒美(ほうび)につられて舞台に出たりして(笑)。家族が踊りをやっていたので、自然と「やらなきゃいけないことなのだろう」と思っていました。
ですが、思春期になると、当時は日本舞踊は女性がやるものと思われていたので、私がやっていることを恥ずかしく思って友人にはかくしていましたね。その頃は野球やサッカーが流行っていたので友人と楽しんだり、高校生の時はバンドブームだったので仲間と挑戦してみたり。どこにでもいる子供でした。


photo:初舞台「申酉」3歳

 

好きな演劇で見つけた日本舞踊のおもしろさ

— この道に進もうと思ったきっかけを教えてください。

高校を卒業すると、若くして亡くなった狂言師の五世野村万之丞さんが主宰(しゅさい)する“わざおぎ塾”という演劇塾の一期生になりました。小さい頃から“型”ばかりを教わってきたので、違った表現をもつ演劇に憧れていたのかも知れませんね。
テレビの舞台中継を食い入るように観ては、地下の小屋のようなところでやっているアングラ演劇や安価な料金で見られる仲間の芝居に行ったりしていました。親にも内緒でね。あんまりいい顔しないかなと勝手に思っていたので(笑)。
ある時、万之丞先生に「日本舞踊を演劇としてとらえていないだろう」と言われて、目から鱗(うろこ)が落ちるようでした。演劇には演出家がいるように、日本舞踊の型も先人により長い年月をかけて試行錯誤の上にできたもの。そう思うと、同じように見える型にも、さまざまな気持ちを乗せられるようになりました。そこから日本舞踊の演劇性を考えるようになると素直に受け入れることができ、この道でやっていこうと決めました。振付をすることも多いので、演劇塾での経験がとても役立っています。

非日常の時間を生きていくための活力に

— お稽古を始める子供たちへ、先生の原動力を教えてください。

3.11(東日本大震災)の半年後くらいに、東北の学校を訪問しました。帰りがけに子供たちが駆け寄ってきて「僕たち、楽しかったからたくさんの子たちにも教えてあげてね!」と声をかけてくれたのです。自分たちが大変な時に人のことを考えられる子供がいるということに感動して、彼らの想いも背負い、何かみなさんの役に立ちたいと思っています。
キッズ伝統芸能体験では、僕らは応援する側です。日本舞踊を習う子供たちが何かを感じ、また発表会を観た方も何かを感じ、生きていくための活力にしてくださればと思っています。
最後になりましたが、お稽古でわからないことを質問するのは恥ずかしいことではありません。みんなで日本舞踊を楽しみましょう。
(お話が終わると少し足がしびれた様子で) イテテ、正座が慣れないから。ナンテネ(笑)。[談]


photo:(左)「釣狐」朝比奈役(平成26年)/(右)「撮影モデルの一コマ」撮影:上総英男

 

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