2017.10.25
「ローカルからグローバル」「点から円」そして「次世代」へ。地域プロジェクトの実践者たちの言葉から、アーツマネジメントの「つなぐ」役割を再考する《アーツマネジメント講座2017 特別講座(8/29)レポート》
アーツマネジメントの基本的な考え方や、
こちらの講座は、「地域コミュニティと芸術~場づくりを支える」
※特別講座の前段には、
地域に入り、地域で学ぶことで見つかる「芸術文化」の新たな視点とは《アーツマネジメント研修派遣 研修者修了報告会(8/29)レポート》
グローカルに「地域と人をつなぐスイッチ」をつくる仕掛人
まずはじめに、各ゲストの活動紹介から。佐東さんは「三陸国際芸術祭」の話をもとに、地域における芸能の役割について触れました。
「東日本大震災(2011)で被災した三陸沿岸地域には、2000以上の郷土芸能団体が存在し、芸能が伝承され、受け継がれてきました。三陸国際芸術祭は、三陸の芸能団体や地元の方が主役になって、そこにアジアの芸能や現代のダンスやアートが入ってくる、これまでになかった芸術祭です。観るだけではなく、外の人が芸能を“習う”機会を作ることによって、東北の文化とつながっていく。被災地の復興のひとつの柱として、芸能や文化・芸術が機能することを目指しています」(佐東)
三陸国際芸術祭では、多様な文化との交流をし、「文化・芸術による復興」に取り組むために、東北や沖縄、韓国、インドネシアといった芸能を同時に体験できるプログラムを実施。そこで地元の芸能との共通点を見いだし、地域を超えた人と人の関係性を生み出したと言います。
昨年は「会場の一つである大船渡市盛町では、『獅子』をテーマに国内外の芸能団体を招待し、街の中や家、庭先といった日常生活の中で出会えるように企画しました。
例えば、三陸に伝わる郷土芸能もインドネシアの芸能も、国が違っても芸能としては親戚であり、根っこは一緒なのではと思いました。伝統芸能や現代芸術といった壁を乗り越えていきたいと考えています」(佐東)
三陸国際芸術祭をきっかけに、世界の芸能が一堂に会することで、様々な風習に触れて、「芸能自体が地域と人をつなぐ大きなスイッチになる」ことが見えてきました。アーツマネジメントは、その仕掛けをつくるために必要なのです。
三陸沿岸地域にある芸術文化を100年後に伝えていくためにも、地域住民参加者と創造的な瞬間を分かち合い、シビックプライドを持った若者がこの街に帰ってくることを目指していきます。
「点を結び、線から面へ、そして、円をつくる」まちづくりの担い手として
東京都足立区は、2010年に起きた高齢者所在不明問題をきっかけに、「無縁社会」というイメージを世間に持たれてきました。そのため、区としてイメージアップを図るために新規にプロモーション課が立ち上がり、2011年に「アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以後、音まち)」の事業がはじまります。
音まちとは、音をテーマにした市民参加型のアートプロジェクトであり、千住に関わりのある方々同士の「縁」をつくることを目指して活動しています。
音まちの活動を行なっていくうちに、多層的・多面的な縁が広がっていきました。そこから、「たこテラス」や「千住ヤッチャイ大学」といった新たなプロジェクトが立ち上がり、音まちが主導しない「人(団体)」「こと」「場」が生まれました。
「音まちをきっかけに、人とことと場が混ざり合うことで、新しい点が生まれました。その点と点の接点をつくることが僕の仕事です。これからも継続させ、お互いに接する面を広げて、足立区を人と人の縁で包むような円にしていきたいと思っています」(吉田)
事務局メンバー以外にも、地域で関わってくれる人が音まちの一員として意識してもらえるように、定期的に話し合いを設け、一年間をかけ、じわじわと自分ごととして意識してもらえるよう関係性を築いてきました。
音楽を文化資源として、産業をつくりあげる
沖縄市は戦後における基地の門前町として栄え、従来からあったエイサーや島唄、琉球舞踊などの感性とあいまって、アメリカ文化の影響を受けたロック、ジャズ、フォークなど、伝統文化と異文化が融合・混在した国際色豊かで個性あふれる文化が育まれてきました。
沖縄市ではこの文化をコザ文化と呼び、それを地域資源として、音楽や芸能を活用したまちづくりに取り組んでいます。
音楽によるまちづくりでは、H19年にオープンしたミュージックタウン音市場を拠点施設として、まちのにぎわい創出、人材育成、音楽の産業化をコンセプトに多くの事業を行っています。例えば、インディーズミュージシャン育成事業として、アーティストの育成や音楽業界とのマッチングや交流、さらに地域とミュージシャンをつなげる取り組みなどが挙げられます。
行政であっても限りある予算の中で、芸術文化の重要性を掘り下げていくためには、福祉や教育分野へのアプローチなど、今後は社会的な貢献事業にも取り組んでいくことが必要かと考えます。その上で、「地域住民に文化行政の必要性をもう一歩踏み込んで伝えていけたら」と今後の展望を語ってくれました。
地域ごとに適した人材育成のために 「日本ならではのアーツマネジメントを見つける」
講座終盤では、佐東さんと吉田さんと神谷さんが考えるアーツマネジメントに関して、谷本さんからの質問を交えたトークセッションが行われました。
アーツマネジメントとは、芸術と社会との接点をつくり、地域での文化振興や人々の創造的な活動を促すもの。本講座では「人材育成について、成功事例や課題として感じたことはありますか」と谷本さんは質問します。
「三陸では、震災によって多くの地域が流されてしまい、仕事を持っている人しか住んでいません。その中で、郷土芸能に関わる人たちは、芸能以外に他の仕事を持ちながら続けていく姿を見たとき、日本ならではのアーツマネジメントを模索しないといけないと感じました」(佐東)
「他県から来た僕が、事務局長として足立区のプロジェクトを関わっていくために、地元に住む人と公私問わず関係性を築くことに注力してきました。
しかし、公私問わず地域に関わることはある意味で精神的にも体力的にも負荷のかかることなので、どこまでを“業務”とするのか判断が難しいと感じています」(吉田)
プロジェクト継続の課題として、資金調達が挙げられます。これに関連して、佐東さんは、アーツマネジメント人材の資質について、こう触れていました。
「例えば助成金を獲得して、それが後払いの場合に、今の日本で、お金を借り入れて事業を行える人はどのくらいいるのだろうか。企業からのスポンサーを募ることや、様々な形で資金調達を組み合わせていかないと事業そのものが成立しません。
これからは、NPO団体や民間団体が考えたアイデアを国の事業として成立するような、働きかけや知恵を絞ることがもっと必要になってくるのではないでしょうか」(佐東)
編集記 黒子から表舞台へーこれからの「アーツマネジメント」のかたちを考えていく
フロアからの発言では、芸団協 実演芸術振興部の米屋部長から、日本ならではのアーツマネジメントの捉え方についてのお話しもありました。
「日本には、700年ほど前から継承されている“能楽”をはじめ、芸能が存続してきています。そこには、アーツマネジメントという言葉では呼ばれていませんでしたが、芸能を支える役割はずっとありました。ただ、それを担ってきたのは、伝統芸能の家元のご家族や、番頭さん、弟子たちで、彼らの役割は、経済的評価をされない、いわゆる“シャドウ・ワーク”であったために、アーツマネジメントの役割が認識されてこなかっただけです」
アーツマネジメント人材は、長らく縁の下の力持ちできていたが、現代社会では、時と場合によっては、顔が見えること、その役割を広く知ってもらうことが、アーツマネジメントの社会的な認知につながる。また、彼らが担う個々のアートプロジェクトの事業継続にもつながるということでしょう。
アーツマネジメントとは、どのような仕事なのか、いろんな形があり、どのような役割を果たしているのか不明確なことも多いです。しかし一つには、公演やフェスティバルなどを実施する地域の特色を知ること、そして劇場や芸術団体など、それぞれが継続するために事業経営する視点を持つこと(参考:講座7)が求められます。そうしたことを今年度、5~6月に実施した10回の講座で学んできました。
これからは、芸術文化を支えていた隠された労働だったものから、経済面での役割を正確に捉え、地域住民に伝え、その理解につなげること、そうしたマネジメント人材が、沖縄の社会と芸術文化との関わりにはより一層必要なのかもしれません。
(取材・撮影、文: 水澤陽介)