2015.09.07
アーツマネジメント連続講座 講座⑥『芸術組織の役割、事業計画と予算』6月16日レポート
講座⑥の2日目は、ロームシアター京都の支配人兼エグゼクティブディレクターの蔭山陽太さんをお迎えし、芸術組織の事業計画と予算についてお話しいただきました。
まずは、蔭山さんの異色のご経歴から。
ひょんなことから入られた日本料理店での板前修業中だったところ、俳優座劇場の劇場部に転身。それまで全く縁のなかった演劇の世界へ進まれました。その後、文学座の制作部を経たのち、まつもと市民芸術館やKAAT神奈川芸術劇場の開館に携わられることに。
2013年から、ロームシアター京都にて支配人兼エグゼクティブディレクターとして2016年1月のグランドオープンに向けた準備にあたられています。
講座の前半は、日本の演劇界を代表する劇団、「文学座」における経営戦略と会員制度のお話について。
「文学座と言えば杉村春子、杉村春子と言えば文学座」といわれるほど、長きにわたって文学座の顔であり支柱であった杉村春子さんが1997年に亡くなられて以降、看板俳優を失った劇団の経営は大変厳しい状況に追い込まれました。当時も、文学座には現在でも活躍中の俳優が大勢いらっしゃいましたが、それでも東京公演だけでは大きな劇団を支えることはなかなか難しかったそうです。
それまでは実際のところ、杉村さん出演の舞台が他地域での演劇鑑賞会や公共ホールの買い取りにより全国公演をおこなうことで、劇団としての安定した収入を確保していました。
ところが、杉村さん亡きあとは、代役を立てても公演のキャンセルが相次ぎ、わずか3年ほどで劇団は倒産の危機に陥ってしまいます。
ここで、蔭山さんは持ち前の数学センスを生かし、文学座の経営の抜本的な改革に着手されます。
その改革のひとつが、観客との新たな関係性の構築、つまり会員制度の見直しです。
通常、会員制度はチケットの優先販売や割引が最大のメリットであると考えられています。文学座も安定した観客数を確保すべく会員を増やす努力をしてきましたが、数学的に見ると会員が増えることは決して利益にはつながらないことに蔭山さんは気づきます。
ロングラン・システムを採用している欧米と違い、日本の公演で得られる収入は「本番日として劇場を借りている日数」×「チケット販売枚数」に固定されているため、チケット購入者のうち会員が占める割合が増えれば増えるほどそれだけ収入が減ってしまうのです。
そこで、蔭山さんは海外の劇場での会員制度を調査するために、文化庁・新進芸術家海外研修制度(通称:在研)研修員として、ロンドンに向かわれました。
驚くことにロンドンをはじめとする英国の劇場・劇団のメンバーシップの会員は、チケットを通常価格より高く買っていたそうです。つまり、会員は割引の恩恵にあずかるのではなく、むしろひいきの劇団に対して「寄付」をする存在だったのです。
それまでの文学座の会員制度は、年間2万5千円で10本の公演が観られるものでした。これは、正価で10本作品を見る場合の約50%の割引になります。
蔭山さんは帰国後、周囲の反対を押し切り、一年間に見られる本数は10本のまま、年間5万円、10万円、さらに生涯100万円を加えた新たな会員枠「文学座パートナーズ倶楽部」を創設しました。
始まってみると、この新しい会員制度は大成功!
生涯100万円のライフ会員にも、予想を超える入会希望者が集まりました。
入会申し込み用紙はあえて配布せず、蔭山さんが入会希望者ひとりひとりと面談して「どうしてわざわざ割高な会員制度に入会を希望するのか」を尋ねてから入会してもらったそうです。
ある方は文学座への寄付のつもりで、ある方は一生涯文学座の芝居が観られるという権利をある種の自己投資として。みなさん、実に様々な背景や目的を持ってパートナーズ倶楽部に入会されていたのです。
こうした取り組みの積み重ねが実り、文学座の経営は見事にⅤ字回復を達成。経営が再び軌道に乗るところを見届け、蔭山さんは文学座を退任されました。
講座の後半は、文学座のあとに携わられたまつもと市民芸術館での取り組みについて。
長野県松本市に位置するまつもと市民芸術館は、住民からの激しい反対を押し切って建設されました。
蔭山さんは開館2年目にプロデューサー兼支配人に就任しましたが、当時は未だに反対運動が起こっており、同館の運営は軌道に乗っていませんでした。
蔭山さんはまず、反対派の委員会のメンバーの方々を毎日訪問しました。
なぜ反対しているのか?その理由をひとりひとり尋ねているうち、少しずつ解決の糸口が見えてきたそうです。
彼らはやみくもに反対しているわけではなく、莫大な公費をかけて建てられた新しい文化施設が、市民生活に一体どのような利益をもたらすのかが不透明であることを気にかけていたのでした。
そこで、芸術監督・串田和美さんと話し合い、手始めに大人から子供まで楽しめる芝居を制作し、出前公演を始めました。
劇場の重要性を訴えるために、劇場から飛び出して事業をおこなう、アウトリーチ活動です。
その公演が地元紙に取り上げられたことが契機となり、少しずつ地域住民の評価にも変化がみられるようになってきました。
そして蔭山さんは、この「生まれてくることを歓迎されなかった劇場」の誕生をもう一度、地域全体から祝ってもらうため、串田さんが演出を手掛ける平成中村座(松竹)の松本公演の実施に奔走しました。
当初、串田さんはこのアイデアに否定的でした。
一地方の公立文化施設が松竹のような大企業と互角に渡り合っていくことのむずかしさ、そして万が一、興行に失敗した時のリスクを考えると大きな賭けであるといわざるを得なかったからです。
結局、蔭山さんは2年の歳月をかけて企画をすすめ、ついに2008年、まつもと市民芸術館にて平成中村座『夏祭浪花鑑』の連続公演を実現させました。
1万円という高額にもかかわらずチケットは即日完売。公演初日には故・中村勘三郎さんや串田和美さんらが人力車に乗って街中をパレードする「お練り」が行なわれ、約5万人もの市民が沿道を埋め尽くしました。地方の公立文化施設で9日間にもわたって本格的な歌舞伎が上演されたのは、全国的にも初めてのケースだったのではないでしょうか。
「信州まつもと大歌舞伎」と題されたこの催しがどのようにしてつくられていったのか、その様子を取材したドキュメンタリー映像を見ながら、当時その現場で起こっていたことをひとつひとつ丁寧に解説していただきました。幾多のハードルを乗り越え、最後には街を挙げて公演の実現に取り組んでいく様子に、受講者も興味深く見入っていました。
この公演の特筆すべき点はもうひとつ、市民参加型作品であるということです。
最後の「祭り」の群集のシーンに、100人に及ぶ市民キャストが出演しました。信州大学の学生や地元の通信制高校の生徒を中心とした様々なバックグラウンドを持つ市民キャストが、日々厳しい稽古を重ねていくうちに真剣なまなざしになっていく様子が映像からもひしひしと伝わってきます。
蔭山さんは公演の実施にあたり、地元の大学生の自主企画によるプロモーション活動や、地元の商店による出店など、市民との一体感を重要視しました。
また、ボランティアではなく、Jリーグにヒントを得た会費制の市民サポーターを募ったことも成功の大きな支えとなりました。
この会費制のサポーターについては、文学座パートナーズ倶楽部の入会希望者との面談で得た知見がヒントになったそうです。
現在、まつもと市民芸術館は市民から愛される劇場となり、「信州まつもと大歌舞伎」はセイジ・オザワ松本フェスティバルに並んで松本を代表するイベントにまで成長しました。
受講者にとっても「信州まつもと大歌舞伎」成功までのプロセスは大変印象深かったようで、講座後のアンケートでは「このような市民参加型の公演を是非沖縄でも実現させたい」という声が多く聞かれました。