―現在、首都圏域に様々な小劇場劇団は3,000くらいはあるといわれています。将来もっと活躍して欲しいと思う集団に対して、どういう支援が必要なのでしょう。これからの公共劇場に期待される役割と支援のあり方について、世田谷パブリックシアターで貸館担当として多くの集団と関わっていらした矢作勝義氏から提起していただき、制作者同士の意見交換と交流を進めていきたいと思います。
<矢作勝義氏のトーク>
○矢作氏の自己紹介
今日は、世田谷パブリックシアターがやっていること、やろうとしていること。そして世田谷に限らず、劇場が制作者集団に対しやっていくこと、やっていくべきことを、規模のそれほど大きくない劇団への支援などを絡め、お話できないかと思っておりますまず、私がなぜこうして話しているのかというところから。自己紹介です。
1965年生まれで42歳。世田谷の生まれで、世田谷で育ち、世田谷で働いて、ほとんど実家の近辺に生息しております(笑)。ただ小学校5年生から中学2年生まで、父親の仕事の関係で3年半ほど広島にいました。広島は原爆の跡が如実に残っている。中学1年のときの担任である恩師は、爆心地におじさんを探しに行って被爆しまして、50歳ちょっとで亡くなってしまった。その原体験が強く残っています。
東京に戻ってきて、尾山台中学校を卒業。いまのサザンシアターの目の前にある、都立新宿高校に入りました。
そして東京都立大学に入学。今は首都大学東京という名前になってしまいまして、以前の名前は駅名にしか残っていません。その大学を卒業後、諸々あってから世田谷にきています。
○1989年、演劇への転機
じゃあどこで演劇と出会ったのかというと、皆さんも同じだと思いますが、高校時代の学園祭です。クラスで演劇の演し物をやり、私は役者ではなく音響をやっていました。3年になると受験があるので、クラスという枠組みなしの任意参加になるんです。そのとき友人が、ミュージカルをやりたいと言い出した。新宿高校は学生運動が盛んだったので、反体制ミュージカル“ヘアー”(笑)。5人くらいで準備を始めたのが50人くらいになり、本番もとても盛り上がった。結果浪人しましたが、「演劇って楽しいよね」という記憶が残った。
私は小さい頃から音楽をやっていて、バンドをやりたいと思って大学に行ったんです。都立大学はすごく小さい大学で、総合大学にも関わらず、全校で学生は3,500人しかいない。「人がいないのだ、手伝って」と同級生に言われて、軽音楽部でバンドもやりながら演劇部にも入りました。当時は劇団員6〜7人で、お客さんも1ステージ10人を切るような中で、それまでは北村想さんとか山崎哲さんの作品を上演していました。で、私たちが入って第三舞台の鴻上さんの作品をやったら、お客さんがいきなり1ステージで100人くらいきた。お客さんが来るのは素晴らしいと気付いて、(芝居の傾向は)方向転換(笑)。
卒業後はレコーディングエンジニアになろうと思っていたんですね。大学4年のときには、レコーディングスタジオで多い時は月360時間くらいバイトしていて、そのままスタジオに就職しました。
ところが、大学時代の同級生が大勢、劇団解体社を手伝いに行っていたんです。1989年、利賀フェスティバルに参加するというので、大学時代の仲間で大挙して手伝いに行きました。私も音響スタッフとして手伝いに行きました。本番日であるフェスティバルの最終日は台風が直撃。大雨が降り霧がかかり、ものすごく幻想的な舞台だったんです。そこで「芝居って素晴らしいな」と勘違いした。演劇部で一緒に活動していた同級生や後輩たちと、劇団を旗揚げすることを決意して、私もスタジオをやめて参加しました。そこが転機です。
○世田谷パブリックシアターへ
スタジオをやめてからは、偶然見つけた日本自転車振興会という特殊法人で働きました。勤務時間が短かく比較的休みを取りやすかったので、働きながら劇団活動です。初めのうちは舞台監督、音響、照明、役者。それから演出、制作。ただ、勢いで旗揚げした劇団の常として、行き詰まった。脚本家が書けなくなったんですね。まわりの人間も、人生設計を考え直さなきゃと思い始めた。それが1997年です。
ちょうど世田谷パブリックシアターオープンのちょっと前で、世田谷区内に拠点がある劇団で会議体(ネットワーク)を作ることになった。私は世田谷区に住んでいたのと、自分が劇団の連絡先になっていたのとで連絡が来たので、それに参加しました。劇場オープンに際し、劇場とそのネットワークが協力して何かできないかと話し合いながら、オープニングイベントの手伝いなどをしていたんです。
で、その会の参加者同士の忘年会で、たまたま現在の制作部長から、君は何やってるのと声をかけられた。自転車振興会では、ちょうどその時広報宣伝の仕事をしていました。そしたら、うちで広報を探しているので来ないかと誘われたんですよ。それをきっかけに、1998年から、世田谷パブリックシアターで働いています。
最初は広報でした。新国立劇場も世田谷パブリックシアターも97年のオープンです。公共劇場が何をするのか、まだ社会的に認知されていなかった。私も世田谷が何ができるかわかっていなかったし、お客さんも多くなかった。試行錯誤でとても忙しく、1年間で体重が7キロ落ちました。前年のオープニングのシアタートラムなどの公演は大入りだったけれど、私が入ってからの主催公演は動員が厳しく、お客さんをどう呼ぶか、どう宣伝するか、本当にぼちぼちこつこつやっていました。
2000年くらいに仕事の担当が変わったんです。広報から、貸館など外部のカンパニー受入担当や劇場のスケジュール管理を中心に、主催公演の制作をしたりするようになった。そこから状況が変わって来ました。外へ公演を観に行く時間ができ始めたんです。カンパニーの制作者や演出家と話をするようになった。劇場の大きな主催公演の担当をするようにもなりました。2003年の“リア王の悲劇”、2006年の“エンドゲーム”などです。
それとともに劇場の総務的な仕事もやっています。助成金の申請書や報告書も作る。他にも、誰もやる人のいないような仕事を、こつこつと拾い集めてやってるんです。
○この10年の変化
劇場を取り巻く環境も、この10年でドラスティックに変化しました。
97年当時は、劇場は助成金の申請が出せなかったんです。その後状況の変化があり、芸術文化振興基金に出せるようになり、文化庁の“文化のまちづくり事業”や、総務省管轄財団の“地域創造”にも申請できるようになった。世田谷パブリックシアターが事業の規模を拡大する時期に、制度も拡大したわけです。それによって事業の規模が拡大し、劇場の仕事の量も増えている。
また以前は、劇場をどういうカンパニーに使ってもらうかということを画策していたわけです。だんだんその割合が減って、自分たちで公演を作る、海外から招聘するということが増えてきている。
助成システムの変化、状況の変化だけではなく、社会自体が変化してきていると考えられます。
特に教育システム。世田谷(パブリックシアター)は、開館当初から教育普及事業というのを、専任スタッフを置いて展開しています。近年は区内の学校に行き、参加型公演とワークショップをやっていますが、ここ3年は拡大傾向にあります。ゆとり教育で、学校側が裁量できる時間が増えている。その中で、「こんなのはいかがですか」と言い続けていた成果が出始めたのでしょう。
それから、舞台芸術の一番重要なのはコミュニケーションですよね。お客さんとのコミュニケーション、役者同士のコミュニケーション、ダンサー同士のコミュニケーション。それがないと成立しない。今、子供を取り巻くコミュニケーションはとても難しくなっていると思います。昔は家の中や学校の中で解決できていたけれど、それができなくなってきた部分がある。その社会的要請を引き受けてゆくのが、劇場や舞台芸術の果たすべき役割ではないかと思っています。
変化と言えば、生活習慣も変わりました。夜に出歩く人が増えましたよね。“飲みに行く”“カラオケに行く”などの選択肢の中に、“劇場に行く”というものもある。
それから娯楽も変化しています。この変化は劇場にとってあまり好ましくない方向なんですが、インターネットや携帯電話の増加が娯楽というものを変えている。その中で、劇場に求められるものは何なのか、常に考えている状況です。
○劇場ってなんだろう
世田谷パブリックシアターは、劇場施設を持っているわけです。作品を作っている、教育普及事業をしている、施設を貸している、どんな人たちにどんなことをやってもらうかを選択している。果たして劇場はそういうことを求められているのかを、常に自問自答する状態ですね。
世田谷アートタウン“三茶 de 大道芸”という催しを毎年やってるんです。近隣の商店街や公園などを使った、気軽に見られるパフォーマンス。あと、複数の大道芸を1時間くらいのパッケージにして劇場内で見せるのを、無料でやっています。お客さんがもうたくさん入る。今回はトラムだったんですが、整理券12時から発行で、1時間以上前から並んでいました。
どうしても、絶対に劇場に来ない人というのはいるわけです。世田谷パブリックシアターは複合ビルの中にあって、外から見ると、どこに劇場があるのかわかりません。区民の中でも、行ったことがある人は限られるんですよ。(劇場のある)キャロットタワーの、26階の展望台に行ったことがある人も、同じビル内に劇場があるとは知らない。劇場の存在を伝えることってどうすればいいんだろうと、本当に常に思いますよ。
世田谷の美術館や文学館は認知度が高い。でも劇場は、関係する人しか関係していない。それがいつもジレンマです。関係ない人、劇場の存在を意識しない人に対し、どうアプローチすればいいかが常に課題ですね。
じゃあいったい劇場ってなんだろう。劇場に何がありますか? 劇場があるんです。上演するための施設、設備、というものがある。場所があるわけです。場所があると、管理運営するために、必然的に人が必要になりますよね。だから(劇場には)人がいる。それが劇場です。
○次のステップ
単純な施設の貸館ではなく、創造事業もやるタイプの劇場を作ることにGOが出たのには、いくつか理由があります。初代の劇場監督:佐藤信さんが、区に対して提言を長年し続けてきたこと。区の人口が23区で一番多く80万人以上であること。世田谷美術館が10年先行してあり、教育普及事業でも実績を上げていたこと、文学館もあったこと。当時の区長が長期安定政権で、文化行政に力を入れていたこと。
当初の目標は、新しい公共劇場をつくることで、それが命題でした。それまでの公共施設というのは、あくまで地域の住民が施設を使用することに対し公平に開かれた施設としての存在だった。それに対して、そこでものを創り出す場を作ろうとしたんですね。
稽古場を作り、木工作業や衣装作りができる作業場を作って、専門の制作・学芸・技術スタッフを雇用して、劇場が実際に作品を創り上げられることを目標にスタートしました。
10年経ち、文化庁の方針や社会的状況の変化もあり、あるところまでは達成できたかな、というところまできた。世田谷も次のステップに向かわなければならないんです。作品を創造する環境と実際に作品を創ったあとに、その創ったものが受け入れられる環境を作っていかなかればならない。つまり“顧客創造”。それが次への課題だろう、と。
世田谷パブリックシアターもそれに向かって、大きく体制を変えようとしています。が、当初フレッシュだったスタッフは10年歳を取っている。売り出し中だった演出家はだいぶ売れて、老獪な演出家になっている(笑)。となると、次どうやって劇場を運営していくかが、更に重たい課題になって突きつけられている状況なわけです。
○劇場にとって劇団とは
劇場にとって、劇団やプロデュース・グループ・カンパニーなどの創造集団は、いったい何なんだろう。単純に施設を貸しているだけならば、劇団は施設を借りていただくお客さまです。
ただ、施設を貸した収益だけでは、世田谷パブリックシアターは収支は成立しないんですよ。いま世田谷区全体が、施設利用料の見直しをやっています。区が持っている施設としての世田谷パブリックシアターも、値上げの検討をしているんですが、その算出根拠というのは維持管理コスト。パブリックシアターの維持管理コストをはじきだして、それを丸々施設利用料でまかなおうとすると、現状の施設使用料の倍は必要。だからパブリックシアターだと1日100万くらいになっちゃうんですね。トラムだと1日40万かな。そんなのありえない(笑)
逆に言うと、劇場を貸しているときに、それだけで世田谷区が劇場費と同程度の額を負担(助成)しているとも言えるんですよ。だから、劇団は単純にお客さんではないだろうと私は思う。
では劇場はいったい何ができるのか、何をしなければならないのか、何をしようとしているのか。
劇場は公演を作ります。作るにあたって誰がいるか。テクニカルと制作のスタッフです。実は世田谷パブリックシアターの場合は、アーティストが芸術監督の野村萬斎氏しかいない。脚本も誰が書くのか、演出は誰がやるのか、出演は誰か。技術スタッフは、照明と音響と舞台監督がいるけれど、舞台美術や衣裳デザインができる人はいない。自分のところで持っていない才能については、外から得なければいけないんです。
○劇団から出てくる人材
教育普及事業について言うと、それは“人”が(教育現場に)行かなければならないですよね。誰が行くのかというと、世田谷パブリックシアターの場合、当初からあるていど固定の人です。ワークショップ・ファシリテーターとしては、もうベテランの域に達している40歳前後の人たちが現場にいる。
新しい人を入れつつあるんですが、じゃあどこから入れてくるのかといえば、例えばファシリテーターのひとりに、私の大学の後輩であり、劇団の後輩がいます。彼も世田谷区に在住だったこともあり、私が劇団を抜けて劇場で働き始めたあとに世田谷の劇団ネットワーク会議に出ていたんですね。そこで劇場が“地域の物語”という新しいワークショップを立ち上げるとき、ネットワーク会議の参加者の中で誰か興味がある人手伝ってくれませんかと問われて手を挙げ、参加し始めた。
彼は役者をやっていたんですが、今後の人生設計どうしようかと、そろそろ考えていた頃じゃないかと思うんです。で、ワークショップをやり始めて、自分のやるべきことはこっちなんじゃないかと気が付いた。演劇に携わる方法としては、公演を作ること以外にも道があると、たまたま見つけた。そのとき彼は深夜勤務の仕事に就いていて、昼間はワークショップに時間を割けたんです。偶然の産物でワークショップをやり始め、だんだん深夜の勤務をしなくてすむようになっていきました。現在は高校の講師をやったり、海外にワークショップに行ったりできるくらいのところまできた。
こういうふうに、劇団など劇場の周辺から、人材が出てきてくれることが必要です。
○劇場への要望〜参加者から〜
では逆に、劇団など創造集団にとっては、劇場っていったい何なんだろう。皆さんから意見を聞いてみたい。
アーティストという個人に対して、制作者という個人に対して、それから演劇シーンという集合体に対して、劇場がどうあってくれたらいいなあと思うか、そういうことがあれば聞かせてください。
<会場参加者から1>
劇場には宣伝のお手伝いをお願いしたい。劇場も一緒に宣伝活動をしてくれると助かる。公演のときに、劇場と劇団の両方をアピールできるプロジェクトを、考えられるんじゃないかという気がしている。
もう一点。夜、泊まらせてほしい。本番前日から上演期間中、劇場にいられると嬉しい。寝るだけの小さなスペースだけでもあれば。
─開館時間は9時から22時という規定があります。24時間仕込めば泊まれるという話もありますが。でもそれは…超やりたくない(笑)。ビルの中というのは、実は開場して動いているだけですごくコストがかかってしまうんです。特に人が深夜泊まるというのは、追加でかかる人件費がすごく大きくなる。近所のビジネスホテルに泊まったほうが、コスト的には安いんです。
<会場参加者から2>
世田谷パブリックシアターは、劇場の在り方としても文化振興の面でも、ひとつのモデルケース。それを様々な地域に伝播させてほしい。文化振興や公共劇場はどうあるべきかを示すモデルケースとして、世田谷パブリックシアターに機能してほしい。
─「世田谷パブリックシアターは特殊だから」とよく言われます。東京の世田谷の三軒茶屋にある劇場ですから、地方の公共劇場にとって、モデルになる部分とならない部分が出てくるんです。パルコ劇場や東急文化村コクーンなどの民間の劇場と、ある種同じ形で戦える地理的な要因と、周囲に観客がいるという要因が、世田谷パブリックシアターにはあるんです。
まつもと市民芸術館の人に今日も会いましたが、「20万都市でやってると客は来ないんだよ」と言うような地方の公共劇場にとって、同じモデルケースにはならない。ただ、舞台芸術が持っているポテンシャルを、どう社会に還元していくかということについてはやれると思います。
実際いま世田谷のスタッフが福岡市に行き協力して、ワークショップをやるにあたっての指導者として、地元のアーティストを活用するという前段階を作っている。豊橋のほうともいろいろやろうとしているみたいです。他のところからも、やってほしいとか教えてほしいとか要望がある。ただ、最終的にはやはりそれぞれの、そちらの行政の人たちの持っている、気合い(笑)ですね。
<休憩>
<矢作氏のトーク再開>
○人と情報が集まる場所
私の中で劇場というのは、“人が集まってくる場所”です。お客さんだけではなく、公演をするアーティスト、劇場を使いたいなあと思ってやってくる劇団の制作の人、近所のカラオケの発表会で使えないかと言ってくる人も含めて、いろんな人が集まってくる。
それと同時に、“情報が集まってくる場所”。これは劇場の一番のメリットだと思うんですね。劇団や個人で活動していると、情報はリアルタイムに入手しにくい。これをだいぶ解決してくれたのが、fringe(小劇場の制作者を支援するサイト)の荻野さんで、演劇制作に必要な情報を集約して、一般に広く知らしめてくれた。それでかなり解決されたけれど、劇場にはそれ以上の情報が集まる。一般に公開されていないような情報が、やはり入ってきますから。それはネットワークの中で入ってくることも当然あります。それに、いま進行中でまだ確定していないこと。こういうことを考えているとか、こういう方向に向かおうとしているとか、そういうことも含めて、本当にいろいろ情報が入ってくる。
で、ただ単に情報が集まってくるだけでは役に立たない。その情報をどういうふうにフィードバックしていくか。劇場として内部にフィードバックしていくだけではなくて、劇場に集まって来た人たちに対して、どういうふうにその情報を伝達してゆくか。それが、実は劇場が今やらなければいけないことかなと思っています。
○情報の蓄積
人が集まってくることによって、人と人とが出会うきっかけが作れますよね。それから今度は、人と情報とが出会うきっかけを作る。そして情報が蓄積されていく。この情報の蓄積のことが、今後課題になっていくのではないかと思っています。
公共劇場では、指定管理者制度というものが実際に動いています。ある期間を区切って、その施設を管理運営することを任される、というような状況に於いて、その次の期間も管理者としての契約を継続されるかということが、確約されていないんです。概ね大丈夫というところがあったとしても、行政というのはトップが変わると方針も全然変わっちゃって、昨日まで白と言っていたことが黒になる瞬間も出てきたりしますから。
そういった中で、指定管理者が変わったときに、それまでの記録というのは誰のものになるのかということです。それまで蓄積してきた情報は、公演に関するデータや公演記録、チラシや新聞の切り抜きひとつをとっても、前の人たちが頑張って入手してきたものですよね。だからその人たちが所有するんだとすると、次の指定管理者に継続されなくなるのではないか。実はこのことを個人的に非常に危惧しています。情報蓄積の役割としては、場に所属するものっていうのが、あるのではないかと思うんです。
あと、例えば戯曲。いろんな戯曲がまとめて読めるところというのがほとんどない。頑張って杉並区がライブラリーを作ってくれることを期待しているんですけど。世田谷パブリックシアターはじゃあどうしているのかというと、個人個人で所蔵している状態で、トータル的に蓄積はされていないんです。あのときの戯曲はどこにあるのかなという問題が出てくるかもしれない。ストックしていく場所として、劇場がそういうところを担ってゆくのが本来の筋なんじゃないかと思っています。
○継続する存在としての劇場
劇場は継続する存在なんですね。劇場って他の施設に転用できないんですよ。単純な箱形の建物だったら別かもしれないですけど、世田谷パブリックシアターみたいなところは、もう倉庫にするしかないんじゃないかというくらい、他の使い方ができない空間。だからこそ、いかにして劇場として存在していくか、どうやって維持していくかということを、考えざるを得ないんです。
行政のほうにも、「作っちゃったからしょうがないでしょ、作ったからには責任あるでしょ」と言いつつ、なんとか戦略を練りながらやってゆくしかないだろうと思っています。ここ数年でどうこう言うのではなくて、10年20年のスパンで考えていかなければならないのかなと。未来を見据えた形で環境を作っていくことが必要だろうと思います。
○劇場への要望〜再び参加者から〜
劇団側から見て劇場にやってほしいと思っていることを、また訊いてみたい。劇団としての都合でいいです。自分たちに対して、劇場がこういうことをやってくれればいいなあというものがあれば。
<会場参加者から3>
劇団と劇場で、何かを一緒に作るというイメージがあまりない。劇場が何を持っているかも、劇団として公演を打つだけではわからない。定期的にこういう場を持ち、お互いにどういうことを考えているか話せたらいい。
─世田谷パブリックシアターが世田谷在住団体ネットワークというのを立ち上げたとき、最初に主導したのは世田谷区のなかでも老舗の劇団です。区内で地道に活動してきた劇団が、パブリックシアターを安く有効に使えるようにできないか、集合体として話をしていくというスタートでした。でも劇団の規模は千差万別で、利害が一致しないんですよね。あるレベルを越えてしまうと、劇場と直接話が出来る状態になって、会議には出てこなくなってしまった。小さいところは残っているんだけれど、普段仕事をしながら芝居をやっていると、だんだんスケジュールが合わなくなる。で、ネットワークの活動が停滞化していった。何度か復活させようとしているのですが、みんな忙しくてまだうまくいかないんです。でも、なんとか復活させたいと思っているところです。
○公共劇場の公平性 <事前提出の質問から1>
公共劇場としての公平性と、特定の劇団を支援することのバランスの取り方について聞きたい。
─世田谷パブリックシアターは、世田谷区が100%出資して作っている劇場なので、個人なら地方税、法人なら法人税を世田谷区に納めている人つまり、世田谷区内の団体に対して、ある程度優先的に考慮しましょうということをやっています。
劇場の公平性って難しいんですよね。舞台芸術を他より優先することが理解されないとか、貸すところを抽選で決めなきゃいけないとか。世田谷はたまたま、他にたくさん施設があった。概ね他の公共劇場は、元の施設を建て替える形で新しい劇場をオープンすることが多いので、元々その施設を使っていた人たちの権利を尊重しなきゃいけないというジレンマがある。新規の施設として建てられた世田谷パブリックシアターは、そのジレンマからはずれた状態でやることができました。恣意的という意味ではないんですが、不特定多数に対しての公平性ということではなく、ある特定の状況に於ける選択をしながらやっている、ということかな。
特定の劇団を支援しながらバランスを取るということは、もうほんと手探りですね。ここは気を使います。特定のところばかりが頻繁に上演していても、いい作品が常に生まれ続けていればあまり言われません。ただ、劇場を使ってもらうということと支援することは一体であるんだけど、お客さんを呼ぶことや劇場を運営していくことのなかで、ジレンマを持ちながら、バランスをとりながらやっているとしか言いようがないと思います。
○支援したくなる劇団 <事前提出の質問から2>
支援したくなる劇団に共通する特徴はあるか。
─芝居はやはり、作品で10割ヒットを出すのはほぼ無理だと思うんですよ。野球と同じで、3割打てれば御の字。そうするとやっぱり、最低3回くらいは観ないと、作品を作っているポテンシャルは評価しきれないと思います。ただ、作品を作っている姿勢みたいなものは見えるんですね。お客さんに対して何か見せようとしてるわけじゃないんだなと思ったら、その場合は1回で見切るかもしれないですけど、概ね何回か観たうえで判断するようにしています。1回観てどうかなあと思っても、もう1〜2回観ることにしています。
これ、皆さんに言っておきたいことなんですが。ご招待いただいて観に行くと、いい出来じゃないときも当然あるとは思うんですね。でも、そこで見えてくる改善すべき点について、話をしたいんですよ。作ってる側からすれば、そんなことわかってるとか、そこはそうじゃないんだとか思うかもしれないんですけど。作品作りました、観てもらいました、ありがとうございました、それでおしまいっていうんじゃなくて、一言でもいいから話をしたほうがいいんです。公演終わったばかりでばたばたしてるかもしれないですけど、招待した人に声をかけたほうがいいですよ。特に批評を書いている人や劇場の人、この人に観てもらいたいなと思った人が来た場合は、コミュニケートしていったほうがいいと思います。
いま劇場でこういう形で働いている中で、声をかけていく、話をしていくことが、私の仕事だろうと思っています。こういうふうにしたらいいという、具体的なことは私には言えないんですが、頑張ろうね(笑)、頑張ろうねとしか言いようがないんですが。
何もないと、みんな演劇からドロップアウトしていくじゃないですか。自分の人生考えたらここで限界かなと。演劇の世界の中で仕事ができる優秀な人というのは、概ね他の仕事でも優秀なんですよ。だから他の仕事が忙しくなって、演劇や舞台芸術から脱けてゆく。そういうときに、こっちの道で行ってもいいかなと思わせるためには、金銭的なものだけじゃない応援やモチベーションがないと、やってられないだろうと思うんですよ。自分が実際そう思ってきたから。支援したくなる劇団というのとはちょっと違いますけれど、そういうこともやっていきたいと思っています。
あと、自分たちがやりたいことと、お客さんに何を見せるべきなのかとを考えているところは、応援したいと思います。自分たちがやりたいことだけやってればいいというスタンスなら、それは「どうぞやってください」ということになるんですよね。
○小劇団に期待すること <事前提出の質問から3>
将来もっと活躍してほしいと思う小劇団に期待することは何か。
─活躍っていったい何なんだろうって私は考えるんですね。お客さんがたくさん集まることは、劇団にとってはひとつの成長なのかもしれない。けれど作品を作り続けていく中で、劇団が大きくなることと、自分たちが創造活動を続けていくことって、ジレンマに陥っていくんですね。
どういうふうにやっていくのかについて、ある瞬間、どこかで踏ん切りをつける瞬間が出てくると思うんですよ。やめるという選択肢も含めての決断。でも演劇は、選択をしないでずるずるやっていくこともできるんです。ある均衡さえ保っていれば、金銭的負担や体力の限界を越えない限りやっていけるという状態。それも舞台芸術のひとつの方法だとは思うんですけれど、でもそれは、ある種アマチュアな状態かなと思います。自分たちがどういうふうにしたいのかを常に模索する、考えていることを見せてくれる、そういう姿勢を期待しています。
○公共と民間の違い <事前提出の質問から4>
公共と民間の違いは何か。
─大きな差は、税金を使っているかどうか。これが一番明確です。民間の指定管理者が委託を受けて、税金を使って運営しているということろもありますけど、ともかく税金を使っているかどうかが一番大きなポイント。
税金を使っている限り、自分たちが使っているお金は誰が払ったものかという観点が当然出てきます。民間の劇場の場合は、私的なお金を使って運営やプロデュースを行ないます。すごく大雑把な議論で言えば、どう使ったってお金を出した人の自由じゃないかと言われてしまえばそこまでかもしれない。世田谷パブリックシアターの場合は、公演や事業にあたって、世田谷区から補助金としてそれなりの額のお金を出してもらっています。世田谷区民が納めているお金。文化庁や地域創造から助成金をいただいてもいます。それらは自分たちで勝手にできるお金じゃないですよね。
公演に対して使っているけれど、あくまで最終的には社会に還元していくのが使命。劇場があること自体に社会的な意味があって、そこで行なわれていることは社会に影響を与えてゆく。そういうことを意識しながらやることが、公共劇場にとっては必要になると思います。
○演劇はパブリックなもの
いま様々な形の助成金が、大きな劇団から小さな劇団にまで出ていますよね。助成金の申請書や報告書の書き方って、誰も教えてくれないんですよ。ここ4年くらい、助成金申請書の書き方についての勉強会などもしています。どういう観点から何を考え、申請書を書くべきなのかについてお話をしているんです。今年は小さな劇団に小額でも助成金が出る傾向があって、勉強会でのアドバイスの成果が出はじめたかなと。
芸文基金も文化庁も、税金をベースにお金をもらうことになる。そうしたときには、税金を払ってくれた人たちに対して、自分たちがやっていることの意味をきちんと説明する責任が出てくる。それが嫌だったら、自分の金でやりなさいってことになるんです。
舞台芸術は、最初は私的な行為かもしれないんですけど、それを観客に観せることを考えた瞬間、お客さんに何を伝えるかってことが、すごく重要になってくると思うんですよ。それをお客さんが受け取って、次を観に来るか来ないかということが観客創造につながるんですけれど、でも何を伝えるかというメッセージって、すごくパブリックなことだと思うんです。それは公的なこと、公共的なこと、社会的なことだと思う。
それがないとお客さんも増えてこないんじゃいかと思うし、それがあるから演劇は必要とされるんだと思うし、実は今、それこそがニーズとして求められている。それができるようになると、助成金を得ても後ろ指さされないでやっていける状況になるんじゃないかなと思います。
○助成金のありかた
<進行:米屋尚子氏>
他にご質問がないようなら企画者の側から補足を。『公共劇場と劇団〜支援について考える』という今回のテーマを掲げたとき、企画者としてふたつの含みを持たせていました。
皆さんは「劇場が劇団を支援する」と読んで来ていると思います。でも公共劇場が奉仕する相手は第一に観客です。観客(将来の観客も含めて)に芸術に触れる機会を提供する、そのために組むパートナーとして劇団があり、目的達成のために必要なら劇団が活動しやすくするための支援も必要になってくるということかと思います。劇団は劇場施設の利用者だけれど第一義のクライアントではない。クライアントはあくまで観客。この点が、公共劇場が他の公立文化施設と違うところだと思う。公立文化施設の場合は貸し館の利用者がそのままお客さんであることも多い。
公共劇場という言葉が社会的認知を得てきたのは最近のこと。観客に対し、どういうスタンスを取るかですべてがはかられるのが、公共劇場なのだろうと思っている。
もうひとつの含みは、劇場がお客さんのために活動しやすくなる仕組みとして、劇場への支援が、もっと多様化して充実するといいということ。そういうダブルミーニングで今日のテーマを掲げていて、公共劇場を通して活動することによって、もっと演劇やダンスが活発になるといいなあとの意味を込めていたのですが。
<矢作氏>
芸団協というのは、文化庁に対して様々な提言をするところでもあるんですね。今回の話も、小規模な活動をしている芸術団体が必要としている助成システムはどういうものかというあたりまでいけたらいいなあと思ってたんです。
いま助成金のシステムはすごく複雑になっていて、すごく手間隙かかるようになってしまっている。今年、芸文基金から50万とか70万とかの助成金を得るカンパニーがありましたが、かかる労力はけっこう大変だろうと思います。何百万とか一千万とかもらっているところが大変なのは、それは仕方ないですよね。でも入り口として、助成金をもらうための姿勢作りという段階で、単純な報告書などに関しては、もっとシンプルな形でできないかなというのがあります。そうしないと、助成金を出す側も労力が大変だから少額の助成は止めて、実績のある団体に高額の助成を出して、件数を減らそうなどと考えてしまわないか危惧します。
小さなカンパニーにとって何が嬉しいのかを考えると、やぱり、劇場費の補助だと思うんですよ。日本の舞台芸術の一番のネックは、劇場費が高いこと。東京都歴史文化財団の助成などは、そういうハードウエア的な経費を支援しているように見えるんですよね。芸文基金も、入り口の助成金として、劇場を使うための経費だけを支援する形を作ってもいいと思います。助成金を申請すること、審査されること、報告書を作ることを、そこでスキルアップさせながら、次の段階として制作費補助になっていく。
劇場費だと、お金は劇場に出せばいいんですよね。劇団が劇場に、劇場費の補助がこれだけ申請通ってますと何か提出して、劇場から文化庁や基金に請求が行くような形。それができれば、けっこう簡単になっていくのになあと、ちらっと考えたりしました。そういうステップがあったほうが、本当はいいんじゃないかなと。いきなり芸文基金宛の報告書をきちんと作るのは、ハードルが高い。こんなのやるくらいなら申請しないほうがよかった、なんてことにならないといいなあと思うんです。
<進行:米屋氏>
数十万円の助成金なら、出す額より事務コストのほうが上回っているんじゃないかと思うくらい、手間隙がかかっていると思います。申請者の負担は、ある部分までは公共に対して活動しているという自覚を促すために必要だとは思いますが、小額の助成のための膨大な事務コストは矛盾を感じます。だから、劇場に支援を与えて、劇場の活動の自由度が増したほうがいいんじゃないかと思う部分もありますね。
<矢作氏>
文化庁の拠点形成事業というのは主催公演だけが対象なんです。それとは被らないものとして劇場が主催するという形ではなくて、劇場で上演するカンパニーに対して、施設提供するような助成がいいんじゃないかと思うんですよね。作品の制作責任は劇場が持っているわけじゃないけれど、上演するカンパニーを選択するなかで、劇場カラーを出していくことができればいいんじゃないか。
ほんとに劇場費高いですよね。トラムで上演するのは1000人以上呼べない限り無理ですよ。自分たちの活動へ先行投資としてやる状況だと思います。なので、劇場費がかからない、フリーステージという枠を作ったんです。2008年からは、フリーステージから名前を変えて、もうちょっと全面的に、若手劇団の支援を打ち出せる形にします。
○循環する流れ
<進行:米屋氏>
先ほど、3回くらい観ないと集団の力は判断できないという話がありましたが、観る形ではなく、戯曲の段階でリーディングのトライアルなどを行ない、登竜門を作ることはできないものですか?
<矢作氏>
2008年から、世田谷も体制が大きく変わる予定です。芸術監督も2期目に入る。制作や技術のほうも体制を変え、新しい劇場を作ろうとしています。演出家、作家も含めて、新しい人たちとの出会いを考えていきたいと思っています。
オリジナルの戯曲のリーディングはなかなか難しいところなので、世田谷パブリックシアターとしては、いまは白井さんが演出しているような主催公演の演出家、あるいは現代能楽集のシリーズを書けるような作家の、次の世代を発掘する企画を進めようとしています。
劇場に必要なのは、継続と循環。劇団との関係に於いても、必要なのは循環ですよ。単に“上演しました”“劇場を貸しました”というだけじゃなく、そこで作ったきっかけが次につながる形。次につながったことが、更にその先に発展して、それが自分たちの公演にフィードバックされるような、そういう流れができればいいなと思っています。
劇団にできることって、自分たちのプレゼンテーションだと思うんですよ。パブリックやトラムで上演した作品を、我々は観ますよね。その演出家、作家、役者に力があれば、次のステップへ進む。次のステップで得られたものを、自分たちのところに戻ったときにフィードバックしてもらう。そういうことをやっていければと思っています。
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