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海外研修サポートセミナーVol.1 〜成果報告会
(2007年11月27日 開催の記録をもとに加筆)
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○田中玲子さんの研修報告(平成18年度文化庁新進芸術家海外留学制度研修員 音楽・アートマネジメント)
司会 後藤美紀子(芸術分野海外研修サポートプロジェクト)
本日は、ご来場いただきましてありがとうございます。今日は、今年8月にイギリスの研修から戻られた田中玲子さんに、お話を伺いたいと思います。田中さんのプロフィールは、お手元の資料にありますので、どうぞ、お目通しください。田中さんは、現在、横浜市青葉区のフィリアホールに勤務されていて、1年間ホールの勤務をお休みされて、イギリスのノッティンガムというところで、主に劇場での教育プログラムについて研修をされてきました。また、研修助手として(笑)、当時6歳と4歳のお子さんを連れた子連れ研修だったということで、この業界ではまだまだ珍しいことですが、今後の参考に生活面でのお話も伺いたいと思います。
それでは、田中さん、よろしくお願いいたします。
■ノッティンガム:イギリスでもワースト10に入る町
田中 ご紹介頂きました田中玲子と申します。後藤さんたちが主宰されていた、芸術分野海外研修サポートプロジェクトの3冊の研修報告の記録集は私もずっと擦り切れるまで読んで、勉強させて頂きました。こういった報告会にも参加して、それがどんなに励みになったかわかりません。本当にいろいろな方に情報を頂かなければ、出発できていたかどうかとさえ思います。出発したのが2006年9月1日で、今年、2007年8月16日に350日の研修を終えて戻ってきたばかりのところです。
まずノッティンガムとは、どこにあるのかという一般的なことからお話したいと思います。
ノッティンガムは、イングランドのちょうど真ん中あたりにあるイーストミッドランド(東中部地方)の中心的な都市です。イギリスで2番目に大きい都市はバーミンガムですが、バーミンガムにも近いですし、ロンドンにも電車で1時間半程度で行くことができます。近くの町ではダービー、南にはレスターがあります。人口は28〜29万人くらいで、面積が74平方キロメートルです。ちなみに、現在勤務しているフィリアホールがある横浜市青葉区は、人口は29,5万人でほぼ同じですが、面積は35平方キロメートルと半分以下です。
私はノッティンガムの中心部ではなくて、中心から郊外行きのバスで20分くらいのところに住んでいたのですが、そのあたりまでがノッティンガムの中心部の生活圏内で、中心まで30分くらいで行けるような生活圏内の人口を合わせると65万人になります。ノッティンガム州全体では、人口は100万人ほどです。それほど大きくはないですが、イーストミッドランドの中では中心的な都市です。
また、ノッティンガムには国際線が乗り入れている空港もあり、中心部からシャトルバスで45分ほどで行くことができます。私はノッティンガムを拠点にはしていましたが、アイルランドのダブリンでも教育プログラムを研修するという計画を立てていましたので、とても都合がよかったです。住居は、偶然にも、空港に行くのに非常に便利なところに見つけることができました。自宅を出て歩いていけるバス停からローカルバスでノッティンガム空港(現イーストミッドランズ空港)まで出て、そこから1時間のフライトでダブリンに着くんです。ですから、隣の国といっても、飛行機に乗ってしまえばあっという間でした。
司会 そのノッティンガムが、イギリスで住みたくない町ワースト10入りしていたというのを、行くことになってから初めて知ったということなんですね。(笑)
田中 はい。実は、行くと決まってからいろいろとネットで調べていたら、イギリスの中で最も住みたくない町ランキングのワースト10の7位ぐらいでしたね。その理由のひとつは、やはり犯罪率が高いことで、ちょっと治安の悪い地域では銃撃事件や麻薬がらみの事件などが起こっているということでした。ただ、その危険な地域に入らなければ問題ないですし、実際行ってみてそういう怖い事件は経験しなかったので、安心しました。
劇場などは、ロイヤル・センター・ノッティンガムという私が行った劇場とホールを持った施設のほかに、ロイヤル・センターから歩いて2分ほど行くとノッティンガム・プレイハウスという、20年ほど前に建った劇場がありました。演劇分野の方ならもしかしたらご存知かもしれません。それから、ノッティンガム大学とノッティンガム・トレント大学という大きな大学が2つあり、ノッティンガム大学の広大なキャンパスには、4年ほど前にできたアートセンター「レイクサイド」があります。ノッティンガムの街中にはノッティンガムアリーナというイベントホールもあり、そこでは、アイスショーやかなり大きなショーをやっていました。本当にいろんな劇場があって、芸術に触れるにはけっこう恵まれた環境にあったと思います。
■研修先:ロイヤル・センター・ノッティンガムを選んだ理由
司会 では、なぜワースト10に入っているノッティンガムに行くことになったのでしょう?なぜロイヤル・センター・ノッティンガムに行くことになったのかということですよね。事前にお話を伺った限りでは、教育プログラムを持っていることで有名な劇場であるとか、特にそのような評判の高い劇場であるということではない。むしろ地方都市にある、わりと一般的な劇場ということですが、どうしてそこを選ばれたのでしょうか?
田中 当初から、文化庁の在研の制度(正式名称:新進芸術家海外留学制度)を利用して、海外で1年間研修しようと思っていたのですが、先方の劇場にとっても、1年間日本人を受け入れるというのはとても大変なことだと思うんです。
実は、イギリスにはワークエクスペリエンスというプログラムがあり、例えば演劇や音楽などに関心のある学生や、アートマネジメントに関心のある学生を1週間とか、2週間の単位で受け入れるということは、多くの劇場で実施されてはいます。ただ、やはり1年間の受け入れるとなると、受け入れる側にも負担がかかると思うんです。私は日本で働いていましたが、主に日本人の演奏家を積極的に応援していく方向で活動していましたので、海外とのつながりは仕事上で全くといって良いほどなかったんですね。海外で提携しているホールなどがあれば違ったと思うのですが、そうでなかったので、私の履歴書を英語で書いて、「1年間文化庁でお金をもらいますので、劇場で働かせてもらえないでしょうか。こういうことがしたいんです。」という手紙をつけて、いくつかのホールに郵便やメールで送ったんです。でも、やはり1年はむずかしいというところや、「私たちもリストラを考えているので、それどころではありません」という正直なお返事をいただいたり、また、全然返事をくれなかったところもありました。そのなかでロイヤル・センターからは親切なお返事をいただきまして、「来たいのであれば、どうぞ。」というニュアンスだったので、「本当にいいんですか?」という感じで実現したというところです。
司会 在外研修に行くとき、最初の関門になるのは、どこに行くか、研修先を決めるということだと思うんです。こちらが行きたいと思っても、向こうからOKが出ないこともありますし、まずどういう劇場があるのか、どういった性格の劇場なのか、自分の研修計画に合っているのか調べる手段がなかなかないというのが実情です。田中さんは、お手紙をたくさん出されたということでしたが、送付先のリストみたいなものはあったのですか?
田中 いえ、ありませんでした。多分みなさんもそうされるんじゃないかと思うんですが、インターネットで「コンサートホール」と検索したら、ロイヤル・センターはロイヤル・コンサートホールというホールを持っているので、それでリストの中に出てきました。ダブリンもナショナル・コンサートホールという名前だったので、検索で出てきたというわけです。あとは、自分が名前を知っているホールや、行ったことのあるホールには送りました。それから、地方で研修したいという希望もあったので、地名を入れて検索してみました。
司会 例えば、知り合いの方がそこのホールに前年度なり、それ以前に行かれていて様子がわかっていた、町の様子がわかっていた、ということではなく、本当に飛び込んでいかざるをえなかったということですね。
田中 大学時代に1年間イギリスにいましたので、そのときにノッティンガムに1日だけ観光に行ったことがありました。ですから、どういう町で、どの辺にある都市なのかという程度は知っていましたが、観光で行っただけなので、ほとんど知らない町といって良いと思います。
司会 研修に行かれる方で一度留学に行かれて、その都市に研修で行かれるという方は多いですね。一つは言葉の問題で、まずは言葉の分かるところに行くと。私はフランスに1年私費留学をした経験があって、その後在研で行きました。それから、町の様子がわかっているところ、特に在外研修の場合は1年間350日と厳密に決まっていますので、カーテンはどこで買うのか、お鍋はどこで買うのかというような生活の基盤を整えるのに走り回らないといけない時間というのをなるべく減らすためには土地勘がある場所の方が効率が良いということもあります。特に、友だちがいたりするといろいろ手助けをしてもらえるので、やはり一度留学した経験のある方は同じところに行かれる比率が高いのではないかと思います。
■入国するまでが大変だった
司会 それでロイヤル・センター・ノッティンガムが「いいですよ。」とお返事を下さってからが、実は大変だったということですよね?
田中 そうですね。ロイヤル・センターの一番トップであるマネージング・ダイレクターのアシュワース氏に直接会いに行き、お願いをして、「いいよ」というお返事をいただきました。ただ、彼も多分あまり深く考えずに返事をしたのだと、あとになって思いました。その後、「文化庁に出す書類を書いていただかなくてはいけません」と言うと、「あっ、そうなの?」と(笑)。それはメールでやりとりをしてもらったのですが、文化庁から内定をもらったあとに、ビザを取らないといけないんですね。イギリスの場合は、エントリークリアランスというのですが、それが立場によっていろいろな種類があって、文化庁の制度ではどの種類に該当するのかというのが、いろいろな方に聞いたのですが、ケース・バイ・ケースでよく分からなかったんです。
最初は、アカデミックビジターという大学の先生たちが一年留学に行くような種類のエントリークリアランスを取ろうと思ったんですが、「あなたの場合はそれには該当しないのではないか」と英国大使館に言われました。それで、ロイヤル・センターの方にアカデミックビジターとして受け入れますという書類を書いてもらって出したのですが、やはり大使館の方で該当するケースではないと判断されてしまいました。それで、大使館から「労働許可書をもらって、労働許可書保持者として申請してください」と言われたのですが、この労働許可書というのは私たちが日本にいて勝手に取れるものではなくて、イギリスの雇い主の方が「この人を雇います」と本国で申請をするものなのです。ですから、ロイヤル・センターの方がイギリスのホームオフィス(内務省)に書類を提出して、申請手続きをしなくてはいけないわけです。書類は私が用意しましたが、ロイヤル・センターとしては外国人の労働許可書を取るのが初めてだったので、ロイヤル・センターの過去5年にわたる収支、パンフレットなど、いろいろ資料を用意して申請手続きをしなくてはならなかったようで、とても大変だったとぶつぶつ言いながらも、なんとか申請してくれました。そういうもろもろの雑事が受け入れ側にも発生するので、とても親切な受け入れ先を見つけないと難しかっただろうな、と。それでなければ、多分途中で、お互いに嫌になっていたと思います。
司会 ビザのことについて補足すると、文化庁の制度では、資金は出ますが、受け入れ先の国に入国して、滞在するための手続きは、基本的に研修員の自己責任で行うことになっています。手続きは、各国でビザといったり、イギリスではエントリークリアランスといったり、名称もさまざまですし、システムもさまざまです。(注:今、英国大使館のwebを見たら、また手続きが変わっていて、もうエントリークリアランスとも言わないようです!)
研修員であるという身分証明のレターは文化庁からいただけますが、その他の部分に関してはタッチしませんというスタンスです。というのは、研修の形態が個人によってばらばらで、それによって必要な手続きが変わってきますし、また、ビザの発給の決定権を持っているのが行く国の本国政府なので、在日の大使館・領事館でも「あなたにビザを発給しますよ」と決定できないという事情があるからです。どういった種類のビザが必要なのかということも、最近ではどの国でもテロ対策などでどんどん変わっていっているので、毎年問題になるところなんですね。ビザの問題に関しては本当に大変ですが、田中さんがどうやって行かれたかという話でさえ、もう来年の参考にはならないと思います。原則として、各人がその時に大使館や領事館に問い合わせて、研修のやり方、研修先を説明して、指示を仰ぐということで、ケース・バイ・ケースだと思って考えた方が良いと思います。
このような手続きが、受け入れ先にも負担をかけることを考えると、田中さんの場合は非常に親切な相手にめぐり会えたと思います。それから、お子さんを連れていらしたということもあって、1度出発前の7月に労働許可書の申請で行かれているわけですよね?
田中 労働許可書の申請に行ったわけではなくて、子どもの学校を決めておかないことには、私が研修を始められないだろうと思い、学校と住むところだけ決めてしまおうと、7月に3日間だけイギリスに行きました。
■研修の目的:教育プログラムの実態を知る
司会 そうやって大変な手間をかけられて、研修に行かれたわけですが、研修の目的というのは、どういうことだったんでしょう?
田中 フィリアホールで社員として働いてちょうど10年、学生だったオープニングから含めると13年間、とにかく無我夢中でやってきました。それで、このあたりで立ち止まって、何のために私はここでアートマネジメントをやっているのか考えたいと思いました。そのとき一番関心があったのが教育プログラムです。特に自分に子どもが出来たこともあって、未来を担う子どもたちのために何かできないかと思うようになりました。海外のホールのホームページなどを見ていると、エデュケーションというコンテンツがあって、教育プログラムが一部門として当たり前のようにあるんですね。ロイヤル・センターもそうでしたので、まずは教育プログラムを学びたいと思いました。もう一つは、地方ホールに行くのであれば、自分が今まで働いていたホールではないところに一度立って、どういう運営をしているのかを地に足をつけて見てこようと思いました。
私がフィリアホールでやっていたのは本当にクラシック音楽、特に室内楽が専門ですが、ロイヤル・センターはそういうジャンルはあまりやっていなくて、コンサートホールという名のついたホールであっても、主にロンドンのウエストエンドでやっているようなミュージカル、例えば『キャッツ』や『スターライト・エクスプレス』や『シカゴ』といったような演目をやって、その合間にボリショイバレエなどが来る。それで、年に10数回ですがクラシック音楽もやっているという性格のホールでした。それは下見に行ったので予め分かっていたのですが、ここで教育プログラムを学ぶのは面白いけれど、私の専門とは違うなとも思っていました。それで、ダブリンの方がクラシック音楽専用ホールで、教育プログラムも音楽専門でやっていましたので、そちらの方で音楽の教育プログラムを学ぶことにしました。
■研修先:ロイヤル・センター・ノッティンガムについて
田中 今日、みなさんのお手元にお配りした資料の中に、劇場の写真があるのでご覧ください。
ロイヤル・センター・ノッティンガムは、シアター・ロイヤルという1865年ヴィクトリア時代に建てられた劇場(シアター・ロイヤル)と、1982年に完成した多目的ホール(ロイヤル・コンサート・ホール)の2つのホールから成っています。シアター・ロイヤルの方は、写真の手前の白い建物で、席数は、1186席です。シアターとコンサートホールは、ファサード(正面)の雰囲気も違いますが、シアターは、ファサードだけでなく、内装も建てた当時の面影が残っています。イギリスには階級制度がありますが、ちょうど当時、労働者階級が劇場に来るようになり、どんどん劇場が建てられたそうです。ですから、入口や客席も階級ごとに分かれていたんです。上流階級はドレスサークルやボックス席がある2階席に座って見る。その上のバルコニーになると労働者階級が立ち見でギュウギュウ詰めになって見ていたので、今は1186席しかないのですが、当時は3000人くらいを収容できる劇場だったそうです。歴史のあるホールというのは面白くて、今はほとんど使われてないですがボックス席は客席の方を向いているんですね。昔は貴族が着飾って座り、舞台を見るための場所ではなくて、着飾った自分を見せるための席だったとか。140年も続いている劇場だと面白いなぁと思いますね。舞台に立ってみると、意外と最後列の客席までの距離が近いです。500席のフィリアホールと距離感はあまり変わらないくらいで、上まで縦にびっしり席はあるんですけど、なかなか良いホールです。入り口には、ドアがたくさん並んでいますが、昔は、このドアは壁で仕切られていて、この2つのドアはそのまま1階席に行けるようになっていまして、こちらの2つのドアは階段を上がってそのまま2階のドレスサークルに行けるようになっているとか、こちらは一番上のバルコニーしか行けないとか、階級によって入るドアまで分かれていたそうです。
こちらのシアターはコンサートにも使われますが、他にも保守党が党大会で使ったりしたこともあります。そのときは、入り口の前にテントが張られて、持ち物チェックがされて厳重な体制で行われ、イギリス全土に放送されていました。
コンサートホールの方は、コーラス席を含めると約2500席ある大きなものです。1982年に建った頃にはクラシック音楽をやろうということで建てたらしいですが、今ではクラシックではなかなかお客さんが入らないので、『キャッツ』だとか、どちらかというとミュージカルなど演劇の部類に入るものを、シアターが1180席しかないところ、こちらは2500席あるので採算がとれるという理由で、やっています。
■上演されている演目
司会確かに、今日、お持ちいただいたロイヤル・センター・ノッティンガムのスケジュール情報誌だと『キャッツ』がロングランされていますね。
田中劇場のプログラムの作り方も、意外とオリジナリティがないんですよ。『42nd ストリート』、『ガイズ&ドールズ』、有名なミュージカルがどんどん来るというのがロイヤル・センターですね。劇場で自主制作しているのはクリスマスのシーズンにやるパントマイムです。イギリスではクリスマスのシーズンになるとパントマイムといって、日本でいうパントマイムとは似ても似つかないものなのですが、『白雪姫』、『アラジン』、『ジャックと豆の木』といったおとぎ話を題材にして、子ども・家族向けのお笑いが入ったミュージカルみたいなものをやる習慣があります。クリスマスの時期である11〜1月にかけて、ロングランで上演します。私がいた年のロイヤル・センターのパントは『アラジン』でしたが、かなり力を入れていて、それが私の滞在中唯一の自主制作作品でした。あとは『キャッツ』など、イギリス中をまわっている作品をいかに買うか、いかに並べるかというのが、マネージング・ディレクターがやっている仕事です。実は別の地方に行っても、この情報誌(シーズンブローシャー)と全く同じような情報誌があって、同じく「なんとか・ロイヤル・センター」というような名前の劇場があって、劇場のパンフレットにはノッティンガムと同じようなツアーがまわっている。使われている写真も、もちろんカンパニーから提供されるものなのでほとんど同じというのが実情でした。
司会 それはきっと国内にソフトがたくさんあるから、出来ることなんでしょうね。
田中 そうですね。例えばロンドンで有名なミュージカルをたくさんやっていて、それがある程度成功すると、ツアーカンパニーをつくって地方に回り出す。それで2,3年すると、全国を回り終えるので、また一巡してくる、と。ロイヤル・センターも2,3年前のパンフレットを見ると演目が全く同じで、前にも何度も『キャッツ』は来ているのです。私はイギリスというと、もっとオリジナルの作品をたくさん発信しているのではないかと思っていたんですが、地方ではそうでもないホールもたくさんあります。その意味では、決してイギリスのロイヤル・センターで最先端の理想的なホールの形を見てきたわけではないです。
司会 お話を伺っていると、イギリスではソフト・作品を作る人(カンパニー)と、ディストリビューター、場を提供する人という役割がはっきり分かれているようですね。
田中 ホールもオリジナルの作品を作ろうと張り切っているわけではない。買った作品ばかり並べているから恥ずかしいというような意識はない印象を受けました。
■劇場のアクセシビリティ
田中 みなさんにお配りしたのは、ロイヤル・センター・ノッティンガム組織図です。日々の研修は、このほとんどの部署に行って、自分の部屋もいただいて、各マネージャーのところでお手伝いさせてもらったり、今週いっぱいはこのプロジェクトに携わるとか、あるいは教育マネージャーのところで教育プログラムを見せてもらうとか、シアターでチケットをもぎらせてもらうとか、いろいろな部署を見せてもらいました。
その中で、日本のホールにはないな、と思ったのが、「アクセス・デヴェロップメント・オフィサー」という役職です。この組織図でいくとマーケティングの中にアクセス・デベロップメント・オフィサーというポストがあります。「アクセス」というと日本ではそのホールまでの行き方を意味しますが、イギリスでは、ハンディキャップを持った方が劇場に来るためのガイドという意味で使われていました。古いシアターの方にも、ロビーにアクセスデスクを新しく設けていて、イヤホンのマークや手話のマークがついています。耳が不自由な方には日常的に補聴器の貸し出しをしていますし、あるいはツアーカンパニーとの協力でできるものですが、手話付の公演や字幕付の公演などを実施しています。手話の場合はロイヤル・センターに専門の手話通訳の方がいて、実際に舞台を見ながら、ステージの端で手話通訳をします。字幕付の場合は台詞だけではなくて、「バーン!」といった効果音も説明されています。そういったことを担当しているのが、アクセス・デベロップメント・オフィサーなんです。
日本のホールでも、こういったことを担当する方はいるとは思うのですが、専属の担当者がいるというのは、見たことがないです。アクセス・デベロップメント・オフィサーは、公演中の補助だけでなく、シーズンプローシャーの文字を大きく印刷したものを、必要な方に配布したり、車椅子の導線を考えて劇場内を改修したりする計画も彼らが先頭に立ってやっています。こういう専属の担当者がいるのは、すごいなと思いました。
司会 日本でも特殊な公演として、「これは手話が入ります」という場合は時々ありますが、劇場に日常的にアクセスデスクがあったり、印刷物で「どの公演でもこういったご案内ができますよ」と告知できる状態にはまだなっていないですね。
田中 実際にこのサービスを利用される方も非常に多いですし、日中のマチネでは年配の女性も多いので、けっこう頻繁に使われています。車イス席も使われない回はほとんどないです。例えばフィリアホールでは500席のホールがありますが、毎回車イス席が使われるということはないんですね。劇場だけではなく町全体に言えることですが、日本ではまだまだアクセスしづらいことがあるんだなと思いました。
■ロイヤル・センター・ノッティンガムの教育プログラム
司会 そういう組織の中で、教育マネージャーというのが1人しかいないそうですね。
田中 2001年の7月に教育プログラム部門を新しく設立したそうです。その時に来たのが教育マネージャーのロングフォード氏で、アシスタントは1人いますが、彼女は別の役目も兼ねているので専属は本当に彼1人です。それなのに1年を通して20本近いプログラムを実施しているんです。(教育プログラムのリスト)
司会 まず、驚くのは実施されている数が非常に多いことと、対象年齢が広いということですね。日本では、教育プログラムというと子どもが対象のものが多く、下心として大きくなって観客として戻ってきてくれればいいなという目的でやっていることが多いと思いますが、その点が違うなという印象を受けました。私はこのリストを見たときに非常に面白いなと思ったのは「遺言をめぐる劇とワークショップイベント」というものです。スポンサーの法律事務所とタイアップして、こういうプログラムが実施されているそうですね。
田中 一番一般的なやり方は、ツアーカンパニーの作品を買うときに、カンパニーが作品とパッケージで教育プログラムを持っていて、カンパニーと劇場の教育マネージャー同士が連絡を取り合って、実施の概要を決めて、告知する、というやり方です。例えば、『アラバマ物語』という劇だと、ひとつの作品に対して、脚本を使ってワークショップがあったり、舞台美術のワークショップがあったり複数の教育プログラムが用意されています。それはツアーカンパニーが、おそらくどこに行ってもできるように用意していて、ロイヤル・センターとしては、その作品を買いますと決めたら、双方の教育マネージャー同士が、時間や場所などを相談します。あとはロイヤル・センターが教育プログラム専用のパンフレットを作っているので、そこに掲載し、参加者を募ればいいわけです。中身に関してはツアーカンパニーが作ってくれていますので、その度に頭を悩ませなくても済むんですね。ですから、ツアーカンパニーがすでに持っている教育プログラムをそのまま利用するという方法は有効だと思いました。
司会 日本ではワークショップというとお話を作ってみましょう、演技をしてみましょうというのが多い気がしますが、舞台美術のワークショップなど、様々な角度から作品にアプローチが出来るようなプログラムがあるわけですね。
田中 そうですね。例えば、舞台美術のワークショップは、ツアーカンパニーのステージマネージャー(舞台監督)さえ出てくればわりと簡単に出来るんです。今回使っている舞台装置はどういう物で出来ているか、作るのにどのくらいの期間がかかっているか、というような質疑応答が、お国柄か活発に行なわれるので、それだけでワークショップになっていきます。その後、材質などを説明した上で、実際に参加者を舞台に上げて、その装置を間近で見せて、「こんな風になっているんだよ」とか、「実はこの装置は傾斜が付いていて、その傾斜を計算しながら作っているんだよ」というような説明をするんです。こういうやり方で、舞台美術のワークショップは手軽に行われていました。
司会 「バレエシアター=50歳以上のダンスワークショップ」というのも気になりますが・・・(笑)
田中 イギリスで50歳以上というと、かなり体格の良いおばさま方が多いのですが、とても楽しそうにやっていました。女性に限ってはいないのですが、午前中にワークショップをして午後からのマチネを鑑賞しましょうというプログラムだったので女性の希望者が多かったようです。私が見たのは、『三銃士』というバレエ公演を行ったときのワークショップで、洗濯女たちが出てくる場面で、ピアノの伴奏に合わせ、洗濯女の布を使って実際にダンスを作ってみましょう、というものでした。最初にバレエの基本の動きをやってみたり、『三銃士』という作品の説明や、今回の演出の狙いも説明したりして、その後ランチを取って、バレエを観るという流れになっていました。私もそのときに公演を観たのですが、その洗濯女のシーンは主要な場面ではないので、何にも知らなければ見逃してしまうんですが、実際にこの音楽に合わせて自分で場面を作ってみると「ああ、こうやって踊る方法もあるんだ。」と分かったようで、とても面白かったですね。このワークショップは大人気でした。
司会 逆に見過ごされそうな場面にスポットを当てることによって、観客の注意をそこにいくようにするというやり方ですよね。
田中 参加している人にとっては、体も動かせて、バレエも見られて、知らない人とお友達になるのも嬉しいと、良いことづくめなんですね。特に50歳以上というのは時間もたくさん持っている世代で、昼間であれば時間もあるし、お金もあるしという方の社交の場にもなるようです。
あとは子ども向けのものも多いですね。学校の、冬休み夏休みなどの長い休みや、学期の半ばにある1週間の休みに合わせたワークショップも用意していました。それから教師向けのワークショップもあって、先生がワークショップでやったことを学校に持ち帰って生徒たちに実践することで広がっていくという試みです。ただ、私が参加したときは先生方の参加人数が少なくて、その目的が成功していたかは分かりません。これらもカンパニーによって予め用意されていたプログラムでした。
リストの中にある、教育プログラムのパックの提供というのは、ロイヤル・センターの独自のものですと、クリスマスのパントマイムに向けて教育プログラム用の冊子を作って、希望する学校などに配布していました。例えばパントマイムの歴史や、公演に関わるロイヤル・センターのスタッフということでマーケティング・マネージャーやステージ・マネージャーのインタビューが載っています。これは印刷物ですが、ツアーカンパニーの場合は、実際に自分達のホームページ上に教育プログラムのパッケージをPDFで載せているものが多いんですね。例えば学校の先生たちが、学校単位で子ども向けのプログラムを見に行こうと思ったときに、ツアーカンパニーのホームページにアクセスするとそこに教育プログラムのパッケージが用意されていて、例えば何歳向けにはこういう授業をすると良いのではないかというヒントや、やり方、ゲーム、ワークシートなどが用意されています。そうやって、各カンパニーや劇場が教育プログラムの内容を公開することで、互いが楽に数多く実施できるというわけです。
次が遺言をめぐる劇なんですが、これは本当に参加者が7、80歳代のおじいさま、おばあさま方でした。チラシに書いてあるネルソンズという法律事務所がロイヤル・センターの大きなスポンサーの一つなんですが、ここがお金を出しているプログラムです。先方から、自分たちとタイアップしてなにかできないかだろうかという話が来て、教育プログラムのマネージャーと相談し、「遺言」をテーマにしようと。ほとんどの人が遺言を作っていませんが、まず、「遺言を作らずに死んだらどうなるのか?」という作品を上演します。俳優が3人だけのとてもシンプルな作品ですが、演劇として見ても楽しめるものになっていて、さらに、うまく問題提起ができるような流れになっています。その公演を観た後に、「皆さん、遺言についてどう思いますか?」「例えば、あなたが遺言を作らずに死んだ主人公だったら、どうしますか?」「あるいはその主人公の息子だったら、どうですか?じゃあ、あなただったらどうするか、ちょっと舞台に立ってやってみましょう。」とリードしていって、観客が舞台に上がって、即興劇になったりします。これは、本当に劇場の持つ機能だなと思います。つまり、自分の生活にむすびつくテーマを、問題提起として観客に投げかけて、実際にその地域に住んでる人がその問題について考えるきっかけとするということです。これは、劇場のすごい力だなぁと。これは本当にロイヤル・センターのオリジナルのアイデアですね。
司会 こういった教育プログラムに参加するのは、有料なんですか?
田中 有料のものも、無料のものも両方のケースがあります。今の遺言のワークショップは、無料でした。子ども向けのものも、有料でもほとんど1ポンドか2ポンドという小額でしたし、ちょっと解説をするようなものは無料でした。
■ダブリンのナショナル・コンサートホールでの教育プログラム
司会 では、今度は、ダブリンの方にいきましょうか?
田中 こちらの方がクラシック音楽専門ホールですね。私が参加したのは、よちよち歩きの子どものためのワークショップです。イスで丸く囲ってある中に、絨毯を敷いて、その上で行いますので、子どももよちよち歩きでも外に出ませんし、非常にリラックスした雰囲気で楽しめる感じです。内容は、簡単なゲームをしたり、打楽器をおじさんがポンポンと叩くと、赤ちゃんもマネして叩いたりするんです。ワークショップリーダーがその場を仕切るというより、自然に始まっていて、輪の中に音楽家が交じっていて、ゲームをしながら、「それじゃあ、次は誰々に楽器を見せてもらおう」というと、一人が立ち上がってケースを開けて、子どもたちも思わず身を乗り出してきて、そこでヴァイオリンが出てくると、「これ何だと思う?」と子どもたちに聞いたりしていきます。ヴァイオリンを使って、高い音を出したときには、みんなで伸びをしてみたり、低い音のときには、ちょっと小さくなってみたりというような身体を使った動きをしたりもします。本当に簡単な音楽の基礎を自然にやっている感じです。それで、じゃあ、次は?というと、打楽器のお姉さんが太鼓を出してきて、叩いたり、子どもに触らせたり、子ども用に叩かせる太鼓が出てきて、自由にみんなで叩いたりします。そこにギターのお兄さんがメロディーを弾くと、自然と合奏になっていくんです。
もう少し年齢の高い子だったら、「合図に合わせてやってごらん」というやり方もします。この子にはミの音、この子にはドの音と、その場で音階があるベルを子どもに渡して、演奏家の合図に合わせてベルを鳴らすと、うまく音楽になったりする。やっていることは単純なのですが、子どもが自然に音楽に親しめてるんですね。さらに子どもの年齢が高くなってくると、もう少し複雑になってきて、2つのパートに分けてリズムを変えて叩いてみたら、おもしろい掛け合いになる。赤ちゃんの場合は知らない間に音楽に触れている感じですけれどね。
司会 田中さんのお子さんは、こういったワークショップに参加されたんですか?
田中 はい、行く前は嫌がっていたのですが、行ったら楽しんでいましたね。
司会 行かれる前は、お子さんたちは英語を習っていたのですか?
田中 行くことが決まって4月〜8月までは近所の英語教室に入れてみましたが、そこではほとんど覚えなかったです。でも、このダブリンのワークショップは、3月か4月頃だったので、イギリスに行ってから半年くらい経っていましたので、英語もだいぶ不自由はなかった頃です。こういうワークショップの輪の中に入ってしまえば、問題はなかったです。
ダブリンでは、このようなワークショップ以外にも、ワークショップリーダーを育てるためのセミナーをやったりしていて、私も参加させてもらいました。これは、特に参加資格があるわけではないのですが、対象がプロの音楽家で、なにか楽器を持参することが条件だったことや、参加費も何百ポンドかする高い金額だったので、プロの音楽家が次にレベルアップするためのコースという位置づけでした。
■一日の生活
司会 では、このような教育プログラムに参加されながら、具体的にどんな生活を送っていらしたか、伺いたいと思います。海外に研修に行こうという方は、研修内容や研修先については、事前にリサーチされると思うんですが、意外に具体的にどんな生活になるのかというイメージが沸きにくいんですよね。特に見落とされがちなんですが、海外へ留学するということは、海外で生活するということなんですね。行ってみたら「台所用品はどこで揃えればいいのか?」「銀行の口座はどうやって開くのか?」など、まず情報を得て、実際に手続きすることに時間が取られてしまう。日本ではそういったことは教えてくれませんので、向こうへ着いたばかりの一番語学のできないときに、面倒な手続きなどをやらなくてはいけないのが非常にストレスなんです。田中さんは、お子さんを連れていかれたということも含めて、一日どのような生活をしていらしたんですか?
田中 ロイヤル・センターは労働許可書も取ったので、自分の個室のオフィスももらっていて、お給料はもらわないけど、普通に働いているという状態でした。朝、ホールに行く前に子どもを送っていって、学校が8時半にスタートするので、送ってそのままバスに乗ってロイヤル・センターに9時頃着きました。その日やることが決まっていれば、それをやりました。そこで、私が働いていたホールと何が違うかというと、みんなそれぞれにオフィスが個室だったんです。最初は、各マネージャーの部屋をトントンと叩いて「今日は何か手伝えることはないですか?」と聞いたり、ダイレクターの部屋に行って「今度のミーティングに一緒に出てもいいですか?」と聞いてみたり、いろんな部屋を転々としながら、その時やるべきことをやっていたという感じです。一番早い日は3時に帰って、3時半に学校が終わるので、子どもを迎えに行って、夕食を作ったり、宿題を見たりしていました。慣れてくると、学校が放課後も5時45分までみてくれるので、ギリギリまで預けて、連れて帰ると。休みのときも教育プログラムのワークショップがあったので、そういう時はベビーシッターさんをお願いして、1日預けていました。ダブリンにはほとんど毎回連れていったので、先ほどのような参加できるワークショップだったら良かったのですが、ワークショップリーダーのためのワークショップなど、子どもが参加できない場合は、ホテルで1日シッターさんに見てもらい、私は1日講座に出ているという感じでした。
司会 教育プログラムというのは、実施される時間帯は、やはり平日の昼間というのが多いのですか?
田中 そうですね。公演が終わった後のトークなど、夜間の時間帯に行われることはありましたが、子どもを対象としたものは圧倒的に昼間が多いので、それは助かりました。
■研修カリキュラムは自分で作る
司会 そうすると、教育プログラムがある時はそちらに参加して、それ以外の通常の勤務のときには劇場の個別の部屋で過ごすことが多かったということですね。そのあたりは、例えば劇場側で1年間を通して「レイコをこういう風に教育していこう」という全体のプログラムはなくて、田中さんが積極的に関っていかないとならなかったということですか?
田中 そうですね。最初は私のための研修プログラムを作ってもらえませんかと親切なマネージング・ダイレクターに頼んでみたのですが、結局、年間を通してのプログラムというのは作ってもらえませんでした。ただ、カンファレンス&イベント・マネージャーと教育部門のアシスタント・ハウス・マネージャーの2人が中心となって私の面倒をみるということになり、彼女たち2人が日々の研修を考えてくれました。
司会 お話を伺っていると、ほかの研修経験者に比べても、ビザの点も含めて、田中さんは受け入れ先に非常に親切にしてもらったなと思うんですけれども、それでも田中さん自身がどういうキャリアをお持ちで、関心の中心がどこなのかとうい点も含めて、完全に理解してくれる人は向こうにはいないわけですから、そこは自分で組み立てていかなくてはならないわけですね。
田中 1週間だけのインターンは、このアシスタント・ハウス・マネージャー担当で、インターン生に対して、1週間のプログラムをちゃんと決めて、最後にそれなりの評価をつけていました。ただ、1年間それをやるのは、非常に難しいことですね。ダブリンの方は、1年間の受け入れは無理、と最初から言われましたが、ロイヤル・センターの方はむしろ、あまり深く考えなかったので受けいれてくれたのかもしれません(笑)。ただ、やはり自分から動かないと、もしかしたら自分のオフィスに引きこもり状態になっていたかもしれない危険もありましたね。
司会 ちなみに、私が研修したフランスでは、インターンは一つの施設にだいたい3ヶ月が限度と言われているんですが、そうなると受け入れる方にしてみれば、結局3ヶ月で辞めるとわかっているバイトと一緒なんですよ。最初から、3ヶ月で辞めるとわかっている人に仕事は教えないですよね。その経験を、どれだけ自分のものにするかというのは、本人のモチベーションにかかっていると強く思います。
田中 私の場合は、マチネの公演のときは、必ず劇場のロビーに出て、切符をもぎったり、客席案内をしていました。そうやって、劇場に出てみると、クレームを言われたり、嬉しかったと感想を言われたりしますよね。私自身がお客さまに直接接するのが好きなので、積極的にやっていたことのひとつです。
司会 それを、自分からやろうというのはすごいことですよね。というのは、田中さんはホールに勤めているので、ホール全体の仕事、つまり事務方だけでなく、表方、チケッティングなど劇場全部の全体の仕事を知っていらしたので、自分からいろんなセクションに関わっていけたんだと思います。同じホールの仕事でも、別のセクションの仕事を知っている必ずしもみんなが知っているわけではないので、そこが田中さんの強みだったのではないかと思いますね。
田中 フィリアホールは本当に小さい組織ですし、元々レセプショニストのアルバイトから始まって、貸館も企画もやりましたし、宣伝も全部自分でもやらなくてはなりませんでした。ですから、向こうでマーケティングの人の話もすごく良くわかったし、逆にチラシも作っていたので、チラシの校正をさせてもらっても、「日本と結局同じだな」と気づいたこともありました。確かに、日本でそういった仕事の経験があったので、いろんなセクションに「何か仕事ありませんか?」と入っていけたのかなと思います。 それから、フィリアホールに戻るというのが前提だったので、常にフィリアホールでの自分の経験とイギリスでのやり方を照らし合わせて考えられたのは良かったですね。フィリアホールだったらこうやっているのになぁとか、ここではこっちの方がいいなとか、鏡が常にあったのが良かったかなと。そういう視点があったからこそ、逆に日本のホールに足りない点、例えばアクセシビリティの問題や教育プログラムが足りない、というのが分かってよかったと思います。
■成果をどのように活かすか
司会 さて、このような研修をされて、田中さんは戻られたわけですが、研修に行かれたみなさんの問題は、実は帰ってからのことだと思うのです。自分が学んだことがなかなか活かせない、環境そのものが違うので同じことをやっても効果的が出でないというのが分かっても、じゃあ、どのようにしたら、成果を活かせるんだろうかというところで、みなさん、考えてしまうんですね。ですから、帰ってきてからこそが本当の勝負どころだと思います。田中さんは、まだ戻られたばかりですが、そのあたりのことはどのようにお考えですか?
田中 成果をすぐに出さなくてはいけない気がして、焦ってはいるんですけれども…。元の職場に戻れたということで、研修してきた教育プログラムをやろうと思ったら、実行に移せる環境にあるというのはありがたいですね。今までは公演を制作することがほとんどだったんですが、これからはワークショップみたいなものをもう少し取り入れてみたいと思っています。例えば、今から来年度のワークショップの予算を組んでいまして、予算が取れたら来年度から新しいことを始めたいと思っています。
ただ、こういった具体的なことだけでなく、もう少し長いスパンで5年後とか10年後に振り返ってみたときに、「やっぱりこの1年研修に行ってよかったな」と思えるような成果が出るといいなと。文化庁の在研くらいの理由がないと、1年現場を離れるというのは会社にも説明できないし、自分自身も立ち止まるのが怖かったと思うんです。やはり現場を離れるというのが、すごく怖かったので、行く前は本当に大丈夫かなと、正直なところ不安に思っていました。企画の仕事というのは、1年後の企画を決めていっているので、例えば昨年の9月に私が行ったときには、今年の8月までのプログラムをほとんど私が決めていきました。それで、帰ってからのプログラムは私がイギリスで決めればいいと思っていたのですが、実は会社に休職という制度がなく、研修では休みが取れなかったので、一度会社を辞める形になったんですね。辞めると、辞めた会社の企画を立てることはできないので、一旦他の人にやって頂きました。そのことで、自分の居た場所を客観的に振り返ることができてよかったですね。これまでは、本当に一つやったらまた次やってと追いまくられていたので、そこから1年離れたことによって、フィリアホールを客観的に見られるようになりました。こういう視点が持てたことで、これからまた自分の中で変わっていくことがあるんじゃないかと思っています。
司会 研修で得たものを実現するまでは、時間がかかるものだと思います。私たち、芸術分野海外研修サポートプロジェクトが、2004年に実施した最初のシンポジウムで、パネリストの千徳美穂さんが、その点を指摘した上で、「成果を出せるまで自分を支える精神力の強さ」というのを研修に行くための資質のひとつとして挙げていました。私も戻ってきて4年経って、そのことを実感しました。田中さんも、すでにフィリアホールを客観的に見られることができたという成果があったということで、頼もしい限りです。また数年後には、違った成果を見せていただけるのではないかと期待しています。
田中さん、本日はどうもありがとうございました。
■質疑応答
質問者 教育プログラムというのは、日本でやるときに教師の方が興味を示さないことが多いんです。学校長に話すと「いや、うちはすでに芸術鑑賞プログラムを十分やっているから結構です。」と言われる。日本の場合、音楽の先生方も文科省のカリキュラムに則ってやっていますので、イギリスにもカリキュラムがあるのかもしれませんが、お話を伺って、自由度が高いのではないかと思いました。イギリスの場合、音楽の専科の先生はいらっしゃるんでしょうか?
田中 子どもたちが通っていた学校にはいました。
質問者 では、日本と違ってイギリスは教育プログラムを選択する自由度が、かなりあるんじゃないでしょうか。日本の音楽の先生だと、面白そうですね、でも、うちは音楽の時間が削られてしまうので結構ですという結果になるんです。そのあたり、イギリスではどうやっているんでしょうか?
田中 イギリスでは音楽の専科だけではなくて、演劇の専科の先生がいる学校もあるんですね。ロイヤル・センターの中で子ども向けのプログラムというのは、クリスマス時期のパントマイムも含めてたくさんありまして、それは学校単位で観にくることがとても多かったです。どちらかというと音楽や演劇の先生がカリキュラムの中で選択するというより、学校長なり、副校長なりが窓口になって、学校単位でチケットを買っていました。
司会 ちょっと補足すると、イギリスでなぜこれほど教育プログラムが盛んなのかというと、国の文化政策が前提にあるからなんです。イギリスに留学のご経験がある芸団協の米屋さんから、ご説明いただいていいですか?
芸団協 米屋 こういった教育プログラムは、イギリスでは80年代ぐらいから盛んに始まったと思うんですが、芸術というのは一部の上流階級・中流階級だけのものでいいのかという批判があって、それをもっと一般化しましょうというのが始まりでした。芸術団体は、教育プログラムを持たないと助成しないというぐらいの方策をアーツ・カウンシルが取ったんですね。それが段々と普及していって、その頃は形だけでも教育プログラムを持てばいいや、というところもあったと思います。形のうえではやっているけれど、中身は大丈夫かという問題は多分現在もあるんだと思うんですが。90年代には、「ハイ・アート」、つまり高級な芸術をみなさんに与えるというのではなくて、もっと生活の中に芸術が入り込んでいくという流れをつくるべきというふうに変わってきました。99年に、創造性と教育に関する諮問委員会が立派な報告書を出して、それを踏まえて2001年、クリエイティブ・パートナーシップという大型施策がスタートしました。これはイギリスでいうところの文化庁と文科省に当たるところと、就労政策を扱うところと共管で出した政策ですね。次の世代を担う子どもたちに創造性を養わなくてはいけないというので、国家プロジェクトでやって、その窓口をアーツ・カウンシルが引き受けたんです。アーツ・カウンシルというのは文化だけをやるのではなくて、文化・芸術を通して労働だとか福祉・教育に働きかける政策をとっています。クリエイティブ・パートナーシップは、特に貧困層が多い地域などを選んで、重点的に芸術団体を通して人を派遣して、学校の授業だったり、課外授業だったりを行い、いろんな教育プログラムを行ってきました。またちょっと形が変わってきているようですが、成功しているものもあれば、失敗しているものもありながら、国の政策としてかなり大掛かりに実施されています。
さっきのお話なんですが、90年代の初めに、日本でもイギリスのように学校に教育プログラムを導入できないかと考えたとき、教育委員会は、該当自治体にある学校全部に導入できなければダメといって難しかったのですが、2002年の教育制度改革以降は校長先生がかなり決定権を持つようになって、総合的学習の時間の学習の中身を決めるのが学校単位になりましたので、以前よりは入りやすくなったかなと思います。学校さえOKといえば入れる、と。ただ以前のように青葉区の教育委員会がいいと言ったら青葉区中の学校が全部受けいれるという体制は逆に取れなくなり、1対1で交渉して、1つ1つ受け入れ側の先生と相談して決めていくと必要が出てきました。その点では、イギリスと条件は同じですね。ただイギリスのような国家プロジェクトのバックアップがないので、お財布はないです…。
司会 今日は、同じ在研で、平成13年度にイギリスで演劇の教育プログラムについて研修した吉野さつきさんが来てますので、演劇の方の事情も伺えますか?
吉野 私の場合は演劇関係のワークショップのコーディネートをやっていまして、イギリスで学んだときにはアクセスというのが、今のお話だと障害のある方に向けて開いていくということだと理解したんですが、私が習ったのはアクセシビリティというシステムというか、アクセスの中に教育プログラムが入っていて、劇場がいかに開いていくかっていう手段の、いろいろな方法の中でアクセスなり、教育プログラムを持ってきたりという話でした。そういう観点から見たときに教育プログラムのカバーする範囲というのは何も学校だけではないんですね。先ほどの小さいお子さんの音楽プログラムも、あれは学校とは関係なく、親子さん、その地域に住んでいる小さいお子さんを持つ家族が対象ですよね。日本でもフィリアホールさんが学校でやるプログラムもあれば、青葉台のあのあたりは、わりと小さいお子さんも多いベッドタウンですので、そういうところでは学校単位のこともやれれば、もちろん良いですが、田中さんがご覧になった色々なプログラムを、地域のいろんな対象者の方に応用していくことはもっともっとできると思います。学校へのアプローチの仕方、カリキュラムの問題、教育委員会の存在など、難しいという現状があることは、私も経験上理解していますが、米屋さんがおっしゃったように徐々にいろんな形で状況が変わってきている実感はあります。親御さんのニーズも地域によって差があると思いますが、多分教育プログラムが今後展開していく可能性はたくさんあると思います。
司会 今日の資料の一番上のところに、ロイヤル・センターの教育プログラムの狙いとして、「オリジナル作品を作りリードすると共に、劇場に来るツアーカンパニーとも協力して、地域の人々とより近い関係を作ること」と書いてありますが、地域の人とより近い関係というのは、今の日本の劇場にとっても大きな懸案だと思うんです。ただ、そのやり方というのはその国によってかなり違うなと感じました。イギリスでは、吉野さんもおっしゃったようにアクセスビリティという考え方のもとに、だいぶ前からいろいろ人を取り込む場所としての劇場ということが考えられていますが、私が研修したフランスは芸術至上主義なので(笑)、どちらかというといい作品さえ上演すればいいという考え方が強かったです。最近、さすがに国の助成金が減って、チケット収入で補わなくてはいけないということで、少しは劇場が観客に対して公演以外の方法で積極的にアプローチするようになりました。
もう1人、在研で、平成15年度にアメリカの劇場で研修された大澤寅雄さんが会場にいますが、地域との関係といったときにアメリカの場合はどうか、ちょっとお話して頂いてもいいですか?
大澤 僕が行ったのはシアトル近郊の、規模の小さな劇場ですが、田中さんが行ったホールと似た性質で、独自にプログラムを組むこともないわけじゃないんですが、主にツアーカンパニーの受け入れをしていました。教育プログラムもありました。僕が研修していたときに劇場のディレクターが言っていたのは、アメリカ全体として言えるかどうかは判りませんが、劇場の性格でいうとプロデューシング・シアターとプレゼンティング・シアターと、レンタル・シアターに性格が分けられる。我々はプレゼンティング・シアター。自主企画・自主制作でやっているプロデューシング・シアターは、予算のたくさんあるところ。レンタル・シアターというのは100%レンタル。劇場の役割や地域対する役割も3つの性格に分けられると聞いていて、今日の田中さんの話を聞くと、プレゼンティング・シアターという感じなのかなぁと。教育プログラムをやっている意義というのも、ファンドレージングという手段的な意味も確かにあるんですけれども、でも今になって考えてみると、資金調達だけじゃなく、地域住民に存在意義を理解してもらう役割があったと思いますね。
学校教育のカリキュラムとの関係で言えば、州毎に学習指導要項がアメリカの場合は違うんですが、ちょうど僕が行っていたときに、アメリカ全土で学習指導要領の見直しがあって、芸術科目の評価基準が厳しくなるという制度改正がどうやらあるらしくて、今まで比較的自由に学校がアーティストを受けいれて、授業としてワークショップを取り入れるとか、劇場に公演を観に行ったりしていたのが、評価基準が厳しくなることによって、それが出来にくくなると。机の上に縛られた教育になるんじゃないかと、美術館とかホールが声を挙げて抗議していました。もっと自由な芸術科目の授業のあり方を、ということで。
教育プログラムを横浜のNPOで手伝っていたときには、僕らは神奈川県、神奈川県教育委員会と良好な協力関係が出来ていました。財政基盤を含めて、公的な機関が学校への教育プログラムの普及を促進するという追い風は吹いているんじゃないかと思います。
田中 日本でも、学校ごとの格差が出来るというのを、あまり歓迎しないというか、公平性を求められることもあるようですが、イギリスでは「ワイダー・オポチュニティーズ(Wider opportunities)」 という全英でやっているプログラムがあって、それこそ恵まれない子どもたちも含め、すべての子どもたちに音楽を、という考えで、子どもたちに楽器を習わせて、その楽器をロイヤル・センターに持ってきて演奏しましょうというプログラムがありました。具体的には、すべての公立の小学校の8歳から12歳を対象として、ヴァイオリン、トランペットやクラリネットを貸して、6ヶ月間オーケストラの団員たちが教え、実際にコンサートの中でオーケストラと共演するというものです。これは徹底的にすべての小学校の子どもたちを対象にしてイギリス全土でやっています。
司会 1年間の研修のお話を2時間で伺うというのはなかなか大変で、すでに時間を過ぎてしまっていますので、今日はこれで終わりにしたいと思います。本日は皆さん、ありがとうございました。田中さん、ありがとうございました。
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